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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第一章 宿敵 9

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 ……い、痛い……体中が痛い……。
 息もできずにうずくまるカオルは、苦しさと全身の激痛で動くことができなかった。
 その苦しさと激痛が、カオルに現実をさとらせる。
 いじめに抵抗し続ければ、いつかはいじめを受けなくなるなんて間違ってたんだよ。だって、鮫口の強さの前では抵抗自体できないんだから。それなら、今日 はもう抵抗なんてしないで、このままここでうずくまってよう。そうすれば、これ以上痛い思いをしないですむ。ううん、今日だけじゃない。中学の三年間も ずっと、今までと同じように無抵抗でいよう。いじめられてつらい思いはするかもしれないけど、今日ほどひどい目にはあわないよ、きっと。
 カオルはそう考え直した。だが、すぐに、心の奥から何者かが問いかけてきた。
 ──本当にそれでいいのか?
 その問いに、カオルは答えられずにだまってしまった。
 いっこうに答えようとしないカオルに、何者かが再度問いかける。
 ──またいじめられることになるが、それでいいんだな?
 だって仕方ないじゃないか。抵抗したところで何もできないんだから。こんなに痛い思いをするなら、だまっていじめられたほうがマシだよ。
 そう答えたカオルに、その何者かは、これが最後とばかりに、念を押すように問いかる。
 ──親しくなった友人の前でみじめにいじめられても、本当にいいんだな?
 またしてもカオルはだまってしまった。
 親しくなった友人。可愛い二人の女の子。水沢さやかと緑川玲子。ごく自然な態度で接してくれて、明るく朗らかに話しかけてくれる。小学校で友達のいな かったカオルには、その二人と過ごした時間は本当に楽しいものであり、かけがえのない大切な友人だ。
 カオルはその二人の姿を思い出した。
 すると、鮫口や黒屋にいじめられている自分の姿も同時に浮んだ。
 からかわれては殴られ、おどされては蹴られ、無抵抗のまま好き放題やられているカオルに、水沢と緑川は話しかけることなど無く、あわれみの視線を送って いる。
 そんな自分の姿を見たカオルの心は、有刺鉄線でぎりぎりとしぼり上げられ、万力でしめつけられるような激しい痛みに襲われた。心の奥深くまできりきりと うずくその痛みは、体の痛みなど忘れてしまうほどたえ難い。
 ……嫌だ……絶対に嫌だ……そんなみじめな思いは絶対に嫌だ!
 心の中で叫んだ時、先ほどから問いかけてくるのが何なのかやっとわかった。
 自尊人だ。六年間、心の奥底に閉じ込められていた、カオルの自尊心だ。
 その自尊心が訴えているのだ。これ以上傷つきたくないと、最後の助けを求めているのだ。
 カオルは拳を握りしめると両足に力を込めた。直後、全身に激痛が駆けめぐり、あまりの痛みに体が硬直する。だが、カオルは自分をしかりつけ、力を奮い起 こ す。
 たえるんだ! この程度の体の痛み、友達の前で、みじめにいじめられる心の痛みにくらべれば、なんてことない!
 そう、いじめられる心の痛みは、殴られる体の痛みよりも、はるかに痛いのだ。まして、大切な友達の前でみじめにいじめられることは、友達と楽しい時間 を 過ごし た今のカオルにとって、最もつらく、苦しく、たえ難いことなのだ。
 それを自覚した瞬間、全身に力がわき上がった。
 カオルは、奥歯をかみしめて激痛をこらえ、ゆっくりと立ち上がる。そして、仲間を連れて立ち去る鮫口の、その背中へ向かって呼びかける。
「……待て……」
 鮫口たちは立ち止まった。それから、ゆっくりと振り返ると、カオルを見て驚きをあらわにした。
 その鮫口の目をじっと見すえながら、カオルは言った。
「……まだ終わりじゃない」
 鮫口はむかつきをかみつぶした。
 その後ろで、ティッシュで鼻血をふいていた黒屋が、にやりと口のはしをつり上げた。
「おれがやる」
 黒屋は、赤く染まったティッシュを指で弾いて捨て、歩き出した。
 が、それを鮫口が片手で止める。
「いや、おれがやる」
 黒屋は不満そうな顔をした。けれど、鮫口はかまわずに、カオルを見すえて歩き出した。
 ゆっくりと確実にカオルへ近づいていく鮫口。全身には強烈な威圧感をまとっている。そうして、鮫口はそのまま歩き続け、拳の射程の近くまで行くと、拳を 放とうと構えを取る。だがその矢先に、カオルが先に踏み込んだ。
 いきなりの攻撃に体勢の整わない鮫口は、顔を苦み走らせわずかにのけぞると、勢いに乗ったカオルの拳は、高速でその鼻先をかすめた。直後、その鮫口の顔 がにやりと笑みを形作った。先制の一撃をかわした鮫口は、カオルが前のめりになるのを瞬時にとらえたのだ。すると鮫口は、慣れた動きで流れるように後退し ながら拳を引き、狂信的なよろこびを顔に見せた。
 だがそれは、即座に鮮烈な驚きに一変した。
 なんと、カオルの左拳がうなりを上げて迫っていたのだ。
 不屈の意志による二歩目の踏み込みが、快心の一振を放ったのだ。
 そのカオルの左拳が空を走り、驚きを浮かべる鮫口の横顔をとらえる。そうカオルが思った瞬間、下っ腹を重い衝撃が突き上げていた。
 腹に鉄球を打ち込まれるような激痛に、カオルはたまらず背を丸める。すると、今度は硬い何かがほおを直撃した。
 骨同士がぶつかる鈍い音が耳に響き、鉄のくいを打ち込むような痛みがほお骨に響く。
 その衝撃で、カオルの視界は激しくぶれながら真下に向くと、迫り来る地面を映し出し、激突して暗転した。

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