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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第四章 紛失 5

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 カオルと彩華にとって放課後のいこいの場となった喫茶店『夕焼け堂』は、大正の香を残す落ち着いた雰囲気の店だ。値段が高めなためか、客があまり入らな いところもカオルは気に入っていた。いつのまにか指定席となった窓ぎわの席にカオルと彩華はすわったあと、カオルは大きなガラス窓から外の景色を見てい た。色とりどりのレンガが敷きつめられた商店街の通りが、店内の雰囲気をさらに引き立てている。
 そんな店の雰囲気を味わっていたカオルに、メニューを見ながら彩華が言った。
「うーん、困ったわねぇ」
「ん、どうかした?」
「それがさぁ、カオルにおごってあげようと思って探してるんだけど、メニューにないのよ」
「何が?」
「お赤飯」
 雰囲気を味わうのも束の間、もう済んだと思っていた話題に、カオルは少しげんなりしながら答えた。
「だから、誤解だって。骨折してないか見てもらっただけだって。もうその話題は勘弁してくれ」
「しょうがない。もう許してあげるわ」
 くすくすと笑ってそう言った彩華は、少し真剣な顔付きになった。
「で、本題なんだけど……その怪我、けんかでしょ」
 カオルも真剣な顔になった。
「あ、答えなくてもいいわよ。大体わかるから。多分、相手は矢岡たち。自習時間に突っかかってきたしね」
 ちっ、彩華は何でもお見通しか。そういや正志も気になってたとか言ってたな。何もわかってなかったのは、おれだけってことか。
 無言で考えているカオルを腕組みして見ていた彩華は、半分あきらめたような口調で言った。
「ほんと、男子はすぐ殴り合いするんだから。まあ、女子みたいに陰口言い合うよりはいいのかな」
 彩華は上の方を向いて少し考え込んだが、ふとカオルに向き直ると、子供に説教する親のような顔になった。
「とにかく、もうけんかするんじゃないわよ。けんかなんて、怪我するか怪我させるかだけで、いいことなんて何もないんだから。それと、もし、どうしてもけ んかする時は、必ずわたしも呼ぶこと。わたしだけがかやの外って、なんか嫌だから。いい、わかった?」
「……ああ」
「よろしい。じゃあ、この話はこれで終わり」
 彩華は言い終えると、視線をカオルから店内を歩いているウエイトレスへやった。
 その彩華を見てカオルは思う。
 彩華は何でも知ってるのかと思ったが、少し勘違いもしてるんだな。男のけんかってのは、必ずしも自分の意志でするもんじゃない。悪意を持った相手にしか け られることもあるんだよ。その場合、戦わなければ、それはもう負けなんだ。そして、そんな負け方をしたら、好き放題に殴られ、おどされ、いびられ、もはや 人間 としては扱われない。だからな、けんかはさけたくても、さけられないものなんだよ、彩華。
 カオルはそう思うと同時に、彩華が真相に気づかなかったことに安心もした。
 矢岡たちにけんかをしかけられたのは、カオルがいじめられっ子の雰囲気を持っているからだ。カオルが思っている真相とはそういうことだ。それは、小学生 時 代の六年間、ずっといじめられていたことの証であり、誰にも知られないように心の奥底に封印した屈辱の過去だ。だから、今回の一件を、彩華がただのけんか だと勘違いしたことで、カオルは心底安心した。彩華にだけは屈辱の過去を絶対に知られたくない。
 カオルたちのテーブルにお盆を持ったウエイトレスが来た。
 彩華の前にイチゴのショートケーキが、カオルの前にブルーベリーのタルトがそれぞれ置かれるのを、彩華は目を輝かせて見ている。
 ウエイトレスが去ったとたん、彩華はカオルのブルーベリータルトにフォークを刺した。
「おい、タルトの方が食べたいんなら、自分で注文すればよかっただろ……」
「ショートケーキの方が食べたいんだけど、タルトも食べてみたいのよ」
「だったら両方自分で注文すれば良かっただろ……」
 一瞬動きの止まった彩華は、二口目のフォークをタルトに伸ばしながら言った。
「そうそう、カオルは知ってる?」
「何を? って、話をそらすなよ」
「奈々美ちゃん、ロイヤルコーストのアルバイト、首になっちゃったんだって」
「えっ、マジで? それって、もしかして──」
「多分そう。あのことも関係してると思う。でも、カオルが変に気をつかったらダメよ。逆に奈々美ちゃんに気をつかわせることになるわよ」
 三口、四口と彩華はタルトに手を出すが、それがすでに見えてないカオルは、少し考え込んでから答えた。
「ああ、わかった」
「奈々美ちゃんは、他にもいっぱい失敗したって言ってた。でも、全然めげてなかったわよ。小さいころからお母さんに、奈々美はよく失敗するけど何があって もくじけちゃいけないよ、って言われて育ったから大丈夫なんだって」
「そうか、奈々美さんはしっかりしているようで、実はドジっ娘っだったのか」
「そうなの! でもそれがすごく可愛いの! あー妹にしたいわ!」
「妹なら、すでに二人もいるだろ」
 姉の間違いだろ、とつっこみ忘れたカオルがタルトを食べようとした時、それはすでに半分ほどしか残っていなかった。
 彩華は自分のショートケーキにフォークを刺しながら言った。
「少しならあげてもいいわよ」
「いいや、いらない。タルトがまだある」
「あら、殊勝な心がけね。それで、奈々美ちゃんなんだけど、今度は家政婦のアルバイト始めたんだって。少し変わったやとい主だけど、知らないことを色々教 えてくれるから、すごく楽しいって、そう言ってたわよ。そういうの何かいいわよね、わたしもアルバイト始めようかしら」
「ああ、いいんじゃないか」
「何ひとごとみないに言ってるの? カオルも一緒にするのよ」
「えっ、何でおれまで?」
「わたし一人で退屈したらどうするのよ。それにカオルの手が空いてる時は手伝ってもらえるしね。だから、どんなバイトがいいかカオルも真面目に考えなさ い」
 カオルは、色々理不尽なことを言われていると思ったものの妙に納得した。
「マンモスバーガーはどうだ?」
「うーん、マンモスバーガーかぁ、何ていうか、ちょっと普通過ぎない?」
「少し変り種がいいのか、だったらイベントとかキャンペーンのスタッフとかは?」
「うーん、そうね、何て言うか、もっとかせげるのが良いわね」
「高時給のバイトってことか? ……ティッシュ配りは? 結構時給が高いらしいぞ」
「うーん、何か違うわね。もっと胸がわくわくするようなのがいいわ」
「真面目にバイトする気あんのか?」
 もっともなカオルのつっこみに、彩華は少しあせりを見せた。
「あ、あるわよ。もちろん。何て言うか……そう! 好奇心が刺激されるようなのがやりたいのよ! 例えるなら、そうねぇ、探偵みたいなの」
「探偵って、そんなバイト聞いたことないぞ」
「確かにそうね。うーん、風変わりで、沢山かせげて、刺激的なバイトは無いものかしら」
 そんなバイトねーよ、と思ったカオルだったが、そう口には出さず真剣に考えてる振りをした。
 カオルが三口ほどタルトを食べて動きが止まっている間に、彩華は思案顔ながらもいつもの速さでショートケーキを食べ終えてフォークを置いた。
 突然、彩華が大きく目を見開いて両手を打った。
「あるわ! 風変わりで、沢山かせげて、刺激的なバイト!」
「ほんとか? 危ないバイトは却下だぞ」
「全然危なくないわ! それにこんな楽しいバイトは他にないわよ! 誰かに先をこされる前にやるしかないわ!」
「わかった。だから、まず落ち着け。で、そのバイトって何だ?」
「──強化人間探しよ!」
「…………」
 カオルは絶句した。フォークを落とさなかったのが不思議なくらいだ。
 一方、彩華は興奮冷めやらぬ表情でまくしたてる。
「西沼さんが言ってたじゃない! 強化人間の有力情報には、百万円の賞金が出るって! その情報をわたしたちでつかんで、百万円を頂くのよ!」
「賞金の百万円。なるほど、そういうことか。でもな、彩華、それはバイトじゃないぞ」
「似たようなものよ! 労働して報酬をもらうのは一緒じゃない。大して違いはないわ!」
 カオルは返す言葉を思いつかなかった。
 労働に対して必ず報酬が出るかどうかの大きな違いがあるぞ、とカオルがもっと冷静な状態であれば言えたかもしれない。しかし、突拍子もない言い分を聞い たカオルは、楽しそうに目を輝かせている彩華をただただ見つめるだけだった。

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