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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第五章 狂言 3
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赤みを帯びた満月が緑道公園をあやしく照らす時刻。
暗めの服を選んで着てきたカオルは、まばらに木の生えられた公園を人目を気にしながら自転車で進む。
からからにかわいたのどと、しっとりと冷たい汗をかいた全身。だが、それらの違和感などまったく感じないほど、カオルは激しく緊張していた。下腹部がじ
んじんと奇妙な感覚を訴えるのは初めての経験だ。さらにこれから初めての経験をすることになる。
──そして、それは視界に現れた。
汗が風で蒸発し体温をうばったためか、緊張に恐怖が混じり始めたためか、カオルは自転車を止めるとぶるっと身震いをした。
自転車にまたがったまま、カオルはそれを見上げる。激しく脈打つ心臓とかたかたと震える体が自分の意志では治まらず、まるで他人のもののようだ。
赤茶のれんがで作られた三階建ての建物。その
壁に
は長方形の白い出窓が並んでいる。外観から察するに、二十部屋以上はゆうにあるだろう。明治か大正に作られたと思われる威風堂々とした風格があり、建
物の住人のようにカオルに挑戦的態度をとっているようだ。
夜の闇に現れたしんきろうを思わせる目の前の建物は、養護教諭の藤宮景子が住む洋館だ。
少しの間、建物の美しさに目をうばわれていたカオルだが、意を決っすると自転車をこぎだした。
だが、カオルが向かったのは、正面の門ではなかった。
三メートルぐらいの長さの鉄のやりを、等間隔で並べて立てたような鉄の
柵。
カオルはそれに沿って建物の裏の方へ回る。途中、建物の中と外への警戒はおこたらない。
少し行くと、大きな木のかげで自転車を停めた。
カオルはひときわ厳しい目付きで建物をにらんで、自分に問いかける。
ここから先は、犯罪だ。それでもやるのか?
カオルの緊張が極限に達したのか、先ほどから感じていた下腹部のじんじんする感覚が全身に広がった。
ああ、やってやる。そのために色々準備してここに来たんだ。やられたら、やり返す。それだけだ!
歯をかみしめて、決意を新たにしたカオルは自転車から降りた。そして、自転車のフレームにくくり付けてあった金属を手に取った。
切断された鉄製のあまどいを思わせるそれは、片腕ほどの長さで断面がコの字型の細長い鉄板だ。もとはパソコン机の一部で、コードを乗せて通す部分だっ
たものだが、解体して持ってきたのだ。
カオルはその鉄板を持って鉄の柵を登りだした。
鉄の柵の頂上は、やりの穂先を並べたようになっていて、人の侵入を許さない。だが、カオルはその穂先の部分に鉄板をかぶせると、難なく鉄の柵を乗りこ
え
敷地の中に侵入した。
そして再度周囲を確認し、誰にも見られていないと判断すると、建物とは反対方向の裏手に駆けて行き、裏門のカギを内側から開けた。
よし、脱出経路は確保した。ここまでは予定通りだ。あとは中へ入る方法だが……
建物を見上げたカオルは、二階の出窓が開いているのに気がついた。最悪ガラスカッターとガムテープを使う予定だったが、一階の出窓を足場にして、二階か
ら侵入する方が安全そうだと判断するや、素早くよじ登りあっという間に屋敷の二階に転がり込んだ。
景子先生、望み通り来てあげましたよ。指輪を取り戻すためにね。必ず見つけて帰って見せますよ。
──そう、カオルは、盗られた指輪を盗り返すために、景子の屋敷に忍び込んだのだ。
このことは、保健室を出る時にカオルはすでに決意しており、彩華と別れたあとは下調べと道具の調達に動き回った。
景子の屋敷の場所を調べて自転車で下見に行き、侵入の方法を考えたカオルは、必要な道具をそろえ、自室であることの練習をし、今、屋敷に忍び込むにい
たった。
あとは指輪がどこにあるかだが……ちっ、数ある部屋を手当たり次第に探すしかないな。
カオルは辺りを見渡した。
そこは赤いじゅうたんが敷かれた廊下だった。天井につられた年代ものの照明が等間隔に灯っているが、とてもうす暗い。内側の壁には、部屋の扉がいくつか
並んでおり、扉と扉の間には、美術品や装飾品が置いてある。油絵の絵画、
陶器の
つぼ、石こう像など様々で、中には剣を胸の前に立てた西洋のよろいまである。まさにカオルの想像通りの洋館の内装だ。
カオルはまず、目の前の扉に近づいて耳を当てた。自分自身の激しい心臓の鼓動が聞こえる他には、何も聞こえない。恐らく中には誰もいない。
カオルは扉を開けようと、とってに手をかけてひねった。だが、カギがかかっているようで、扉は開かない。
ちっ、やはりカギがかかってるか、だが……
カオルは内心で毒づきながら、腰の後ろに手を回した。そこには大きなウエストポーチが付いている。カオルはそのポーチを開けると、中からとある道具を取
り出した。
──カギ開けの道具だ。
昼間に屋敷を下見したあと、カオルは自宅に帰りインターネットでカギ開けの方法を色々調べた。その後、近くのホームセンターで使えそうなものを買ってき
て、ヤスリやペンチなどを駆使して加工したものだ。カギを開ける練習も自室でくり返し、素早く開けられるようになるまで、道具の加工とコツの習得を続け
た。準備の大半はこのカギ開けに費やされた。
カオルは、手先を震えさせている緊張を静めるために、ふーと深くため息を吐くと、祈るような気持ちでその道具を試す。すると、うんともすんとも手応えが
ない。
ちくしょう。三十秒もかからずに開けられるように練習したのに……。それに、室内の部屋のカギは、開けやすいはずなんだが……。
などと思いながら色々試すこと数分、突然かちゃりと手応えを感じた。
体に電気が走ったような感覚に、カオルは息を飲んだ。そして、そっと扉を押すと、何の抵抗もなく扉は開く。
今まで感じたこともないような快感だ。許されない悪事をしている緊張。その中で味わった達成感は格別だった。
だが、カオルは気を引きしめ直す。指輪を取り戻し、屋敷を出るまで油断はできない。
カオルは部屋の中に入った。中には所せましと本棚が置いてあり、そこには分厚い本がぎっしりとつまっている。景子はかなりの読書家のようだ。ゾーン
とかいう究極の集中力を研究しようと、手段を選ばず行動する辺りから考えても、相当に知的探究心が高いのだろう。
景子先生が指輪を持ち帰ったのは昨日だ。奥の方にしまってはいないだろう。目に付く所と、戸棚や引き出しを調べるだけでいいはずだ。
そう考えたカオルは素早く動き出し、部屋中の本棚に上から下、下から上と視線を走らせる。だが、指輪は見つからない。この部屋は本棚しかないから、指輪
を置いたりはしないのだろう。
そう判断したカオルは部屋を出ようとし、ふと、部屋の扉に視線を向けた。
開いている扉でカギ開けのコツをつかんじゃえば、次の扉もすぐに開けられるんじゃないのか? 試す価値はあるだろう。
カオルはすぐに試してみた。すると、予想通り簡単にカギを開けられるよになった。
いける! これなら、短時間で部屋を調べられる。かならず指輪を取り戻せる!
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