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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第五章 狂言 4
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希望が見えてきたカオルは、人気がないのを確認して廊下に出た。そして、次の部屋へ忍び足で歩いて行く。その途中、廊下にある数々の調度品が目に入る。
えの長いオノが壁にかざってあるぞ。こっちは高そうな油絵だ。景子先生って、ほんとのお金持ちなんだなぁ。でも変なものもいっぱいあるな。えーと、これ
は騎士のよろい。こっちは微妙な石こう像。そしてとなりは……何だこれ? メイドのろう人形? こんなものまであるのか。
──えっ!
直後、驚きのあまり後ろに大きく飛びのいたカオルは、反射的に身構えた。
大きな音を出してはいけないとの意識が無ければ、思わず声を出していたことだろう。
心臓が破裂しそうなほど強く打つのも、一瞬にして全身に鳥肌が立ったのも気に留めず、カオルは両目を見開いて見つめた──メイドのろう人形だと思ったそ
れが、頭を大きく下げてあいさつしたのを。
背筋がゾクゾクし、体中から汗が吹き出すカオルの前で、そのろう人形はゆっくりと頭を上げる。
「こんばんは、カオル君。こんな遅くにどうされたんですか?」
──何!
ろう人形に話しかけられた上、名前まで言い当てられたカオルはまたも驚き絶句した。
だが、同時にその声に聞き覚えを感じたカオルは、ろう人形の顔をまじまじとのぞき込んだ。
「え? えぇェーー!」
驚きのあまり、今度は声を出してしまったカオルは、すぐに両手で口をおさえた。なんと、そのろう人形は、先日に公園で友達になった月島奈々美とそっくり
なのだ。
「カオル君、どうしたんですか? わたしの顔に何か付いてますか?」
いや、違う、これは奈々美のろう人形ではなく、奈々美本人だ。今の奈々美の台詞で、カオルはやっとそう気がついた。廊下がうす暗く、壁ぎわの置物と並ん
で立っていたので、ろう人形だと勘違いしてしまったのだ。だが、理解できない。なぜここで奈々美が置物のふりをしているのかも意味不明だが、むしろ──。
カオルは奈々美の全身を見た。こん色の長いワンピースのスカートと白いエプロンを合わせたエプロンドレスを着ていて、頭にはフリルの付いた白いカチュー
シャを付けている。ここまではまあ良しとしよう。問題は奈々美が両手に下げたものだ。なぜか、水のいっぱい入った金バケツをそれぞれの手に一つずつ下げて
いる。さらに極めつけは首の部分だ。逃げられないようにするためなのか、そこには『なわ』がかけられている。そして、その一メートルほどのなわのはしは、
ミケランジェロのダビデ像のごとく、男の局部をほこらしげに見せつけている石こう像の、たくましい腕にくくり付けられている。
カオルには、奈々美のこの奇妙な格好の方が到底理解できない。
奈々美さんは、何でここにいるんだ? いや、それよりも、いったい何をしているんだ?
カオルの頭が疑問符で満たされた。だが、過酷な人生できたえ上げられた本能が警告を発する。関わるな、今すぐ立ち去れと。そう、カオルには指輪を取り戻
すという大切な目的があるのだ。奈々美の奇特な行動に関わっている余裕などないのだ。
「奈々美さん、何やってるんですか?」
好奇心には勝てなかった。
奈々美は恥ずかしそうに顔を赤らめると、意志の弱さを悔んでいるカオルに言った。
「あ、あの、これは、お仕事で失敗してしまって、お仕置きを受けているんです」
とんでもないお仕置きだ。まあ、景子先生らしくはあるが。そういえば、奈々美さんが家政婦のバイトを始めたって、彩華が言ってたな。やとい主が景子先
生だったとはな。しかし、こんなひどいお仕置きを受けるなんて、どんな失敗をしたんだ?
疑問に思ったカオルは、失礼とは思いつつも、辺りを警戒して小声で聞いてみた。
「いったいどんな失敗をしたんですか?」
「それは、そのぉ、アイスティーをお持ちする際に、うっかり転んでしまって、……そのぉ、景子様の頭に……」
奈々美もつられて小声で答えた。
なるほど、ひどいお仕置きを受けるわけだ。
奈々美の転び特性意外の謎が解決したカオルは、うんうんとうなずいた。
そこへ、今度は奈々美がひそひそと聞いてきた。
「カオル君は、ここで何をしてるんですか?」
「ん! そうだ、忘れてた! 奈々美さん、指輪を見ませんでしたか? 銀の指輪です。昨日、景子先生が家に持ち帰って、どこかに保管してあるはずなんで
す!」
「えっ? 銀の指輪ですか? うーん、見た覚えないです。お役に立てなくてすみません」
本当にすまなそうな顔をする奈々美に、カオルは立て続けに聞いた。
「銀のネックレスも一緒に保管してあるはずなんです。どんな
些細なことでも良いんです、何か心当たりはありませんか?」
「銀のネックレスもですか……うーん、うーん、うーん……」
奈々美はかなり真剣に考えてくれているようだ。だが、時間が過ぎるばかりで、何かを思い出す気配はない。それに、これ以上ここで時間をつぶしていては、
指輪を探す時間がなくなる。
「奈々美さん、ありがとうございます、もういいです。おれはちょっとやることがあるので、それじゃこれで」
「ちょっ、ちょっと待ってください。カオル君はどうしてここに──」
立ち去ろうとするカオルを、奈々美はあわてて引きとめようと、両手に持った金バケツを置いて手を伸ばした。が、奈々美はだいぶあわてていたのだろう、自
分で置いた金バケツの一つを
蹴 り倒して
し
まった。
すると、蹴り倒された金バケツは大量の水をまき散らしたあと、ガラガラとうるさい音を立てながら廊下を転がっていく。
その音の大きさに、カオルはあせりまくった。だがさらに、バケツの転がる前方を見て、カオルはあせりを通りこし、背筋が凍りついた。
──や、やばい!
バケツの前方は、一階へと続く吹き抜けの階段だった。
とっさにカオルは飛び出そうとした。しかし、さっき金バケツに蹴つまづいた奈々美が、カオルの体にがっしりとしがみ付いていて動けない。そんな中、階段
にさしかかった金バケツは、カオルの想いを知ってか知らずか、重力に導かれるままに階段を転げ落ち始めた。
金バケツが階段にぶつかるやかましい音が、吹き抜け階段はおろか、二階の廊下のはしまで響き渡る。
大きく弾みながら階段を転がる金バケツは、途中の曲がり角で激しく手すりにぶりかり、跳ね返っては壁にぶりかり、まるで屋敷中の人間を叩き起こす
警
鐘のごとく、ガコン、ガコン、ガコンと馬鹿でかい音を発
し続ける。
カオルと奈々美は抱き合った姿勢のまま金バケツの動きをぼう然と見続け、大きな音が生じるたびにお互い腕に力をこめた。
そして、夜の静けさを打ち破りながら進んだ金バケツは、階段を転がり終えると正面の玄関扉に勢いよくぶつかって、巨大な衝突音を最後に響かせたあと、
やっと動きを止めた。
屋敷に静けさが戻った。
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