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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第五章 狂言 6

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 目的の部屋は三階の廊下の一番奥だった。
 予想外に足の速かった奈々美のおかげか、追手が迫ることなくその部屋にたどり着いたカオルは、十秒たらずで扉のカギを開ける手先の器用さをひろうし、奈 々美から盛大な拍手を浴びたあと、部屋の中に入りすぐにカギをかけた。
 広々とした二十畳ほどの空間は、左右の壁に戸棚が並び、正面に大きな出窓がある他は何もない。出窓から見える赤い満月と、風で葉をゆらす大木がなけれ ば、とても殺風景な部屋だ。
 だが、左右の棚には高価そうな小物や装飾品が多数置いてある。カオルの指輪を保管していてもおかしくない雰囲気がただよっている。
 カオルはすぐさま戸棚を見回り始めた。
 一心に指輪を探すカオルの思いが、手に持った剣を強く握らせる。そんなカオルの真剣な顔をじっと見つめていた奈々美は、はっと気づいたような顔をしたあ と、一緒になって戸棚を探しだした。
 見た瞬間、カオルは大きく息を吐いた。
 今までの苦労がうそのように、それはわかり易いところに置いてあった。
 部屋の中央の戸棚、ガラス戸の中だ。傷がつかないように青い布が中にはられた入れ物に丁寧に収められ、かすかな輝きを放って存在している。
「──あった」
 思わず声に出しながら、カオルはゆっくりと手を伸ばすと、母の形見の銀の指輪と、銀のチェーンのネックレスを入れ物から出した。そして、普段そうしてい るように、ネックレスを指輪に通すと、自分の首にかけた。
 毎日していることなのに、まるで一年ぶりにしたような感じを受けたカオルは、胸に手を当ててじっとよろこびをかみしめた。
 そんなカオルを、奈々美は優しげなほほ笑みで見つめながら言う。
「カオル君、よかったですね」
 自分のことみたいによろこんでいる声だ。
 だが、感動の時間は長くは続かなかった。
「さすがに、わたしが目を付けただけのことはあるわね」
 入り口からした声に振り向いたカオルと奈々美は、五メートルほど離れたところで、部屋の扉を開け放った景子が鋭い視線を向けているのを見た。その背後に は、先ほど見かけた三人の男たちがひかえている。
「うちのメイドをたぶらかして屋敷に忍び込み、見事大切な指輪を取り戻す。それを一日もたたないうちにやってしまう……谷風君、あなたすばらしいわね。と ても普通の高校生にできることじゃないわ。でも、ここからどうやって帰るつもりかしら?」
 景子の物言いは、優秀な人間が平凡な人間を評価するように尊大だった。
 カオルを軽くあしらい、常に優越感を持って接する。そんな景子の態度は昼間となんら変わらない。カオルにはそれが無性に頭に来た。景子のそういう考え方 や態度が、カオルの大切な指輪を軽い気持ちで盗むという行動につながり、カオルのことを散々苦しめた。カオルにはそう思えてならないからだ。
 指輪を取り戻し、澄んだ気持ちになっていたカオルの心が、墨汁ぼくじゅうを 流し込んだかのように真っ黒く染まり始めた。
「勝手な理由で指輪を盗んでおいて、言うことはそれですか」
「あら? 谷風君こそ、わたしの屋敷に忍び込んでおいて、言うことはそれなの」
「…………」
 景子の言葉はカオルの気持ちをさらに逆なでした。カオルの心に怒りの感情が一気に広がった。
 カオルが無言で殺気立つ様を見ていた景子は、カオルが感情をおさえられないと感じ取ったのか、ゆっくりとムチを構えた。
「話し合うだけ時間の無駄のようね」
 景子の言葉に呼応して、男が二人歩み出て景子の両わきを固めた。残った男も入り口に立ち、出口をふさぐ。
 景子の顔に、戦いへの迷いは一切ない。カオルが踏み出せば迷わずムチをうならせるだろう。
 やはり、この部屋へ指輪を取りに来るのは無謀な行動だった。いくらけんかの訓練をしているカオルでも、ムチを持った景子と警棒で武装した男三人が相手で は勝てるわけがない。鉄の剣という強力な武器があるものの、カオルは剣の扱いを知らないし、まして人を殺傷する武器を振るうことはカオルにはできない。
 だが、相手はカオルの考えなど知りはしない。夜に屋敷に忍び込むような危険な男子が、剣を持って殺気立っている。相手はそう思っているだろう。そこにつ けいるすきがある。
 そう考えたカオルは一か八かの作戦を考えた。
 本当に剣で斬りかかるふりをして、相手がひるんだすきに押しのけ走り去る。間合いの長いムチを一、二発もらうかもしれないが、所せんムチだ。それほどの 威力はないだろう。男の持つ警棒だけ見切ればいけるはずだ。相手を小バカにしたような作戦だが、普段高みから相手をバカにしてばかりいる景子先生にはちょ うどいい。逆にバカにされる屈辱を味わえばいいんだ。
 カオルは景子たちを視界にとらえながら、右手で剣を構え、左手で奈々美の手を取った。かすかに振るえていた奈々美の手が強く握り返して来る。
 うすい氷一枚で保たれているような一触即発を秘めた静けさ。カオルも景子も男たちも、冷静に相手を見ている。だが、カオルは相手の恐れを誘うために、心 に広がる怒りの感情に身をまかせる。すると、怒りで顔がゆがみ、体が燃えるように熱くなる。そして、力のこもった右腕がぴくりと動いた瞬間、景子の右の男 がわずかに反応した。
 ──今だ!
 カオルは腹の底から気迫のこもった叫びを発し、剣を振り上げ一気に飛び出した。
 部屋をゆるがすようなカオルの声が、全身から出る殺気をのせて空間を打ち破り、景子たちを突き抜ける。
 景子の左右の男たちは、カオルの気迫に気圧されとっさに受ける姿勢を取り、景子は洗練された動きでムチを振るう体勢に入った。
 よし! ねらい通り!
 激情の中にあっても冷静な思考を保っているカオルは、作戦の成功を感じ取った。そして、迫るムチをしり目に、さらに加速しつつ剣を振り下ろすふりをしよ うとした時だった。
「ぐぅあぁぁっ!」
 木刀で撃ち抜くような重く固い一撃が、カオルの胸を突き抜けた。
 瞬間的な圧迫で吐き出された息が、骨を砕かれるような激痛でうめきに変わる。
 その一撃で突進の勢い全てを止められたカオルは、がくがく震えるひざに力を込めて、倒れるのだけはなんとかこらえると、取り落としそうになった剣を震え る手で構え直す。
「カ、カオル君!」
 悲痛な声で呼びかけた奈々美がカオルの手を強く握りしめた。カオルも強く握り返したあと、奈々美を背中にかばった。
「わたしのムチの味は気に入ってもらえたかしら?」
 流れるような動きでもとの体勢に戻っていた景子が、色気のある笑みを浮かべて言った。
「それにしても、防御もしないでまともに受けるなんて、わたしもとことん甘く見られたものね。それとも、谷風君は極度のマゾヒストなのかしら?」
「くっ……」
 今カオルが食らった一撃は、景子のムチによるものだ。食らうとわかっていたものの、予想をはるかにこえる重い衝撃に、カオルの動作が断ち切られ、思惑は 失敗に終わったのだ。それでも、剣を取り落とさなかったのは幸運だ。もし取り落としていたら、今もなおカオルのすきをうかがっている男たちに、即座に取り 押さえられていたことだろう。
 ち、ちくしょう、ムチってのはこんなに強烈なのか。でも、一撃で沈められなかっただけ良かったか。ムチを振るう動作もつかめたしな。だが、このあといっ たいどうすればいいんだ……

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