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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第六章 罠 4
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「でも、以外です。景子先生が本気で謝ってくれるなんて。景子先生は研究しか興味無くて、学生なんか実験動物ぐらいにしか思ってないって、おれ、てっきり
誤解してました」
「それは誤解じゃないわよ」
「えっ?」
驚いて固まるカオルへは振り向かずに、景子は台ふきを洗っている。
「学生なんて実験動物にしか見えないわ。でも、大半の学生はそれぐらいの知能しか持ち合わせてないんだから、仕方ないわよね」
カオルは言葉を失った。昨日の景子も今日の景子も同じ景子であって、心境の変化などないのかもしれない。だが、景子の中での自分の評価が上がったため
に、まともに扱ってくれるようになったのかと思うと、少しうれしくなった。
「それじゃあ、さっそく研究の話をしようかしら」
「えぇェっ! その話はあきらめたんじゃないんですか?」
「わたしは自分の欲望に忠実に生きることにしてるの。あきらめるなんて選択は始めからないわ。ただ谷風君に対してはやり方を変えるだけ」
カオルは引きつり顔になり、一歩あとずさった。
「つまりね、谷風君に嫌々協力してもらうんじゃなく、喜んで協力してもらうことにするわ」
「……意味がわかりません」
景子は円卓に向かって歩き出した。黒いヒールがカツカツと床を叩く。そして、円卓のところまで来ると、
椅子にすわり足を組んだ。
「谷風君、あなたは自分の能力『ゾーン』のことを自分でどれだけ理解してるのかしら。危険が迫った時や意識を集中した時に、まわりのものがゆっくりに見え
たり、暗く見えたりする時がある。それだけしか知らないんじゃなくて?」
にわかに真剣な顔になったカオルは、その通りだと心の中で答えた。
そんなカオルのことを、景子はじっと見すえながら続ける。
「どんな時ゾーンに入れて、どんな時ゾーンに入れないのか。ゾーンに入った時、どのくらいの動体視力になるのか、どのくらいの思考力を発揮できるのか、谷
風君自身でもよくわからない。そうじゃないかしら?」
「…………」
「確かに昨日の夜はわたしのムチをうばえたわ。でも、ゾーンに入れるという確証はあったのかしら? ムチの動きを見極められるという確証はどうかしら?
もし仮に、わたしのムチが倍の速さだったらどうだったかしら? 恐らく、何一つ自信を持って答えられないんじゃなくて? 自分の能力を正確に知らないまま
では、能力を過信して失敗したり、やれば可能なことをあきらめたりしてしまうわ。どんなにすばらしい能力でも、その全容を理解していなければ、もろ刃のつ
るぎでしかないの。いずれ必ず自分や大切な人を傷つけるわ。そうならないためには、谷風君は自分の能力を知っておく必要があるわね。そうは思わない?」
知り合ってわずか三日目にして、景子はカオルのことを知り尽くしてしまったのか、その指摘は的確にカオルの心をとらえた。
「確かに、景子先生の言う通りかもしれません」
「谷風君の能力を正確に調べるには科学理論を使うのが一番確実だわ。わたしならそれができるのよ」
景子はカオルの目を数秒見つめた。それから足を組みかえた。
「それにね、谷風君、人は誰でもそれほどの能力を持っているのに、普段は自由に使えない。これがどういうことだかわかるかしら?」
「……何か良くないことがあるとか、ですか?」
「そうよ。なんらかの欠点があるからに他ならないわ。それは、もしかしたら致命的な欠点かもしれないわ。いいえ、ほぼ確実にそうね、死に直面しないと使え
ない力なんて。そして、それを知らずに使い続ければ……」
景子の真剣な表情をみて、カオルはごくりとつばを飲み込んだ。
「わたしならその欠点を解き明かすことができるし、安全な能力の使い方を考えてもあげられるわ。それは谷風君にとってもいいことじゃないかしら」
「確かにそうかもしれないけど……でも、おれ、人体実験とかは嫌ですよ」
景子は優しそうににっこりとほほ笑んだ。
「安心して、危険なことはしないわ」
「ほ、ほんとですか?」
「ええ、本当よ。約束するわ。谷風君は傷つけるにはおしい素材だから大切に扱うわ」
「そういうことなら、少しぐらいなら協力してもいいですよ」
カオルは安心したように、ほっと息を吐いた。
景子はとてもうれしそうな表情をすると、二人のお茶をそそぎ始めた。
「──ありがとう、大体のことはわかったわ。谷風君がゾーンに入った時の能力は学会で報告されてる事例とほとんど同じようね」
カオルの能力についてを根ほり葉ほり聞き出した景子は、執務机でノートパソコンに向いカタカタとキーボードを叩いている。
「ただし、ゾーンに入る過程がかなり短いわね。ゾーンの習得過程が短いことと何か関係があるのかもしれないわ。ゾーン能力者どうしでも、能力発現の過程や
内容にだいぶ個人差があるから、個人差で説明できないこともないけど……少し気になるわね。まあ、多分、谷風君の適正が極めて高いだけだと思うけど……」
となりにすわるカオルを、景子は一切見ないで途切れなく話す。カオルに説明しているのか、自分の思考を整理しているのか、はた目では区別がつかない。も
しかしたらパソコンとお話しているのかもしれない。だが、何だかとても楽しそうに見え、今までの景子とは違った魅力を感じさせる。
ふふ、景子先生あんなに熱中してる。普段はやたらインテリぶってるけど、実はすごくお茶目なんだな。人体実験なしでおれの能力を解明してくれるみたいだ
し、研究に対する熱意は本物だし、景子先生の研究に付き合うのも悪くないかもな。
景子の姿を見て、そんなことを考えたカオルは静かにほほ笑んだ。
だが、先ほど景子は危険なことはしないとは言ったが、人体実験をしないとは一言も言ってないし、危険なことについても基準など一切ふれてない。にも関わ
らず、カオルはうれしそうに、にこにこしながら景子の作業を見ている。景子の口車にまんまと乗せられ、結局はいいように扱われているカオルであった。
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