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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第六章 罠 5
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呼び鈴の付いた扉を勢いよく開け、軽やかな鈴の音を響かせて店内に駆け込んだカオルは、息を切らせながら腕時計を確認した。
──ちくしょう!
走った疲労で片手をひざに突いてくやしがるが、くやんだところですでに手遅れだ。
景子のたくみな話術につかまり、時間ぎりぎりまで研究に付き合わされたカオルは、喫茶店『夕焼け堂』に今走り込んだところだ。
彩華との約束の時間は四時。だが、カオルの時計は四時三分を示しており、その秒針は今も刻々と罪の重さを増やし続けてしている。
確か、一秒でも遅れたらおれのおごりとか言ってたな。ちっ、三分も遅れたら店をはしごされるぞ。こうなったら……
カオルは時計の時間を五分戻した。
よし! これで大丈夫だ。あとは強引に押しきればいい。
などと考えるカオルは、自分の行動パターンが彩華に似てきていることにまったく気づいていない。
それからカオルは、暗めの照明が灯る店内を歩きだし、いつものテーブルに向かう。彩華とのいこいの場となったこの店は、相変わらず客が少なく、とても静
かだ。ここだけ時間がゆっくり流れているような、何かなつかしさを感じさせるような、そんな空間だ。カオル好みの雰囲気で心が落ち着く。
あれ?
目指すテーブルに着いたカオルは首をかしげた。それからキョロキョロと辺りを見渡す。
「彩華のやつ、まだ来てないのか?」
再度辺りを見渡しながら椅子にすわったカオルだが、やはり彩華の姿は見当たらない。
ちっ、彩華はまだ来てないのか。自分では絶対遅刻するなとか言ってたくせに。だからおれは走って来たってのに。それなら……
カオルは時計の時間を十分進めた。
よし! これでいい。必ず彩華におごらせてやる。絶対に言い逃れはさせないぞ。
などと画策しながら、ウエイトレスにアイスティーを注文した。
数分後、彩華がまだ来きていないために、ひまを持て余したカオルは、飲み終わったアイスティーのグラスを振って、四角い氷をからからと鳴らしていた。
走って来た時の疲れやほてりなどとっくになくなっている。
おかしいなぁ。彩華のやつどうしたんだ。まさか時間を間違えてるのか? 確かに四時って言ってたよなぁ。
カオルは時計を確認した。余計に進めた五分を差し引くと、四時を十分近く過ぎている。
彩華が待ち合わせに遅れるとはめずらしいなぁ。雪でも降ったりしてな。だけど、寝坊以外で彩華が時間に遅れたことなんてあったかなぁ。
そう思ったカオルは、記憶を振り返った。喫茶店、ファミリーレストラン、ファーストフード店……彩華とは何度となく待ち合わせをしたが、彩華が遅れたこ
となど思い出せない。
……ないな。多分、一度もない。そうだよ、彩華が約束の時間に遅れたことなんて一度もないよ。
カオルの心にゆっくりと不安が芽生え始めた。それは指に刺さった小さなとげのような不安だ。何か気になり、取り除こうとするのだが、どうしても取り除け
ない、そんな感覚。そして、その不安は取り除こうとすればするほど、カオルに良からぬことを連想させる。
もしかして、事故にでもあったのか?
化学工場からでるけむりが青い空を汚していくように、カオルの心に暗いものがどんどん広がった。
たまらなくなったカオルは窓から外を見た。いつものように、多くの学生や買い物客が楽しげにレンガの通りを歩いている。だが、灰色の雲に被われた空のた
めか、カオルの不安は加速するばかりだ。カオルは不安の正体を探すかのように、彩華の姿を求めて通りをすみずみまで見渡す。
何やってんだよ彩華。遅れるなら連絡ぐらい入れろよ。心配するだろ、まったく……ん?
レンガ通りから外れた路地裏だった。
──あ、あ、あいつらは!
後頭部を金づちで打ちつけられたような衝撃が走った。
心臓が跳ね上がったように強く打ち、一瞬硬直した体がかたかたと振るえ出す。
思わず倒してしまったグラスが、テーブルとぶつかり派手な音を出し、氷がカラカラとテーブルの上に散乱する。だが、カオルはグラスを倒したことにも、何
人かの客に振り向かれたことにも気づかずに、驚きで目を見開いたまま路地裏の二人を見続ける。
日が当たらず暗がりとなった路地裏。学生服を着た二人の男子。カオルを監視するような険しい視線。見覚えのあるその二人は、以前にもその場所からカオル
のことをにらみ見ていた男子で、奈々美と出会った公園で鮫口と一緒にいたやつらだ。今日もまた、カオルのことをじっとにらみつけている。
と、その二人はカオルに見つけられたと感づいたのか、あからさまに挑発のような態度をとってきた。
その挑発に心臓がふたたび跳ね上がったカオルは、とっさに顔を背け店内に視線を戻した。
ち、ちくしょう! 忘れてた! あいつらのことを! そうだった、この場所はあいつらににらまれた場所なんだ。指輪のことばかり考えてて、そのことを
すっかり忘れてた。そんな場所で彩華と待ち合わせしちまうなんて……ちくしょう!
カオルは激しい後悔に襲われ、強く
拳を
握りしめる。汗ばんだ手の平に爪あとが付くほどの力がこもっているが、痛みなど感じる余裕はない。
前回はカオルをにらみつけていただけだが、今回は挑発までしかけてきた。恐らくこれからはもっと激しい行動を取ってくるだうう。そして、それは確実にい
じめへと発展する。
待ち合わせ場所を変えよう。
すぐに思い立ったカオルは、ブレザーの内ポケットから携帯電話を取り出すと、彩華に電話をかけた。すると、携帯電話からは聞き慣れた女性の声が聞こえて
きた。だが、それは彩華の声ではない。非の打ち所のない丁寧な声だ。けれど、その声はカオルを不安にさせることを告げた。彩華の携帯電話は電池が切れてい
るか、電波の届かないところにいると。
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