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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第六章 罠 6
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カオルはテーブルにひじを突いて指を組むと、そこに額を当てた。
彩華、いったい何やってんだよ。何かあったのかよ……
カオルは、彩華が今何をやっているのかを想像する。時間を忘れ、友達と会話している姿。待ち合わせを思い出し、全速で走っている姿。それらは、いかにも
彩華らしい楽しそうな光景だ。だが、そんな光景に混じり、今の状況に見合った不吉な光景が頭をよぎった。
──まさか!
想像することさえ恐ろしい最低最悪の光景に、激しい悪寒が全身を駆けめぐる。
鮫口の仲間がカオルを見張っているが、鮫口本人は姿を見せない。さらに、カオルの友人である彩華も待ち合わせ場所に姿を見せない。これらが意味すること
をカオルは考えてしまったのだ。
違う! そんなことあるはずがない! 考え過ぎだ! 少し冷静になるんだ!
カオルは、その吐き気がするような想像を消し去るために、頭を大きく振った。そして、気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸をした。だが、いまわしい
想像は到底振り払えず、ぜんまいの切れかけたおもちゃのように、カオルは角張った動きで自ずと路地裏の二人へ顔を向ける。
その二人はずっとカオルを見ていた。すぐにカオルと目が合う。すると、またしても挑発するような身振りをカオルに向けてきた。
カオルへ拳を向けて中指を立て、すぐ親指を下に向ける。けんかを売る時の仕草だ。かつてカオルはこの仕草でよくからかわれたので意味を知っている。それ
から、一人がもう一人の背中に回り、羽交いじめをした。
この動きの意味はカオルにはわからなかった。だが、何か意味があるのだろう。後ろに回った男子はカオルに何かを伝えようと、下品な表情でしきりに口と手
を動かしている。
当然だが、喫茶店の中にいるカオルには、何を言っているのか聞こえない。くちびるの動きを読むなんて芸当もできない。なので、手の動きに注目する。
しきりに人差し指と小指を動かしている。人差し指で前の男子を指しては、拳を握って小指一本を上に向けているように見える。
……あいつ、何が言いたいんだ? 羽交いじめにされてるやつは小指だとでも言いたいのか? 小指ってなんだ? ……もしかして、恋人のことか?
瞬間、意味を理解したカオルは落雷の直撃を受けたような衝撃が全身を駆け抜ける。
──ちくしょう! そういうことか!
飛び上がりそうな勢いで立ち上がったカオルは、椅子を後方へ勢いよく弾き倒し、店内に大きな音を響かせる。またしても、周囲の客が注目し、倒れた椅子
や、グラスと氷の転がったテーブルに奇異の視線を向ける。だが、カオルは散乱したテーブルも周囲の目も一切視界に入らない。険しい目で路地裏を見つめるカ
オルには、二人の男子しか見えていない。
そのカオルの反応で、自分たちの仕草の意味が伝わったと気づいたのか、後ろの男子はカオルをあざ笑うような顔をすると、前の男子の首の前で手を水平に横
切らせた。
カオルは顔面が
蒼白になった。全身
の毛穴から汗が吹き出し、ひざが小刻みに振るえ出す。険しかった表情は激しい恐怖に一変して、こめかみを冷や汗が流れ落ちる。
カオルが読み取った、二人の男子の仕草の意味。
それは、小指とは恋人のことであり、カオルの彼女と勘違いされた彩華のこと。羽交いじめは、とらえたということ。そして、首の前で手を横切らせたのは、
殺すということだ。つまり。
──とらえた彩華を殺すと言っているのだ。
カオルは駆け出していた。
自分のいたテーブルの角にぶつかり、腰に激しい痛みが生じたのに顔をゆがめつつ、その衝撃で落ちたレシートをわしづかみにし、レジへ向かって店内を駆け
抜ける。驚いたウエイトレスや歩いていた客が、とっさにどいたところをわき目も振らず走り抜けたカオルは、レジにレシートと千円札を叩き置くと、呼び鈴の
付いた扉を勢いよく開け放ち、うるさいほどの鈴の音とともに外に飛び出した。
ちっ、ちくしょう! あの路地は、あの二人はどこだ! ……こっちか!
カオルは、店の前で辺りに鋭い視線を走らせたあと、すぐにレンガの通りを走り出した。
楽しそうに会話をしながら通りを歩いていた学生たちは、カオルが血相を変えて走りゆくのを見て立ち止り、何事かといった顔で振り返る。自転車に乗った買
い物客は、カオルに驚きあわててブレーキをかけると、耳をつんざくようなブレーキ音が辺りに鳴り響く。だが、カオルはそれらを一切無視して例の路地裏まで
突っ走ると、日の当たらないうす暗い路地裏を険しい視線で射抜いた。
少し汚れた路地裏だった。店の裏口らしい扉や換気扇の排気口が間隔を置いて並んでいて、ポリバケツやエアコンの室外機がいくつも置かれている。そんなご
くありふれた路地裏を五十メートルほど行った所にその二人の男子はいた。だが、肝心の彩華はいない。けれど、彩華がつかまったというカオルの読みは、確信
に変わった。
……そういうことか。
カオルの表情は一層険しくなった。相手の用意周到さが、カオルに最悪の展開を予想させ、全身を緊張させた。
その学生服の男子たちはスクーターに二人乗りして、カオルが来るのを待っていたのだ。
恐らく、カオルをどこか人気のない場所に連れ出すためだろう。もし、付いていけばカオルは無事では済まないだろうし、いかなければ彩華は無事では済まな
いだろう。いや、行ったとしても彩華が無事でいられる保証は何もない。
だが、カオルは一瞬も迷うことはない。例え自分がどうなろうとも行くまでた。
全開にふかされたスクーターのエンジン音が路地裏から上がった。
その音のやかましさに、まゆを寄せたカオルだが、走り去るスクーターを絶対に見失うまいと、直ちに走り出す。
うす暗い雲が建物の間からのぞく人気のない裏通り。
学生服を着た二人の男子が乗るスクーターと、それを追いかけるカオル。スクーターはカオルよりもわずかに速く、カオルの視界から少しずつ遠のいていく。
それをカオルは逃すまいと、速度を上げて追いかける。途中、天下一ラーメンと書かれた看板にぶつかり倒しそうになったのにも、徐行していた軽トラックにひ
かれそうになり運転手から怒鳴られたのにも立ち止まらず、カオルは走る。
走る速さは全速ではないがかなりの速さで、そのためすぐに体中が悲鳴を上げだす。だがカオルは速度をゆるめず、遠ざかるスクーターを歯を食いしばってに
らみ走り続ける。疲労でしびれる足を強い意志の力で動かし、わき腹に走る激しい痛みを手で強くつかんでこらえる。荒い呼吸で胸が苦しくなり、かわきでのど
がひりひりと痛む。
ち、ちくしょう……体中が痛い、もう体がもたねぇ……やつら、どこまで行く気だ……
それでもカオルは、意識が遠のくように、少しずつぼやける視界の中でスクーターのしりをとらえる。カオルの方向感覚を混乱させ道に迷わせるつもなのか、ス
クーターは裏道を右へ曲がり、左へ曲がり走り去る。時おり蛇行したり、わざと速度を遅くして追いつけるような様子を見せたりと、挑発をしかけてくる。だ
が、カオルは体中の苦しさにたえて追いかける以外になす術はない。
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