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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第七章 激情 1

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 市街地を二つに分けるように流れる早波川。普段はゆるやかな川だが、大雨のたびにだく流となって周囲の家屋を飲み込むという、大蛇のような荒々しい一面 も持っている。そのため、古くから高い土手を築いて街を水害から守ってきた。その高い土手のために、この川の河川敷はとても人目に付きにくい場所であり、 この川を横断する高架橋の下ともなるとなおさらだ。
 都会のエアポケットと呼べるような、そんな隔絶された場所へ、カオルは誘い出されようとしていた。
 疲れきり、歩くことさえままならないカオルが、堤防がわりの土手を登ると、その視界に灰色の高架橋が写り込んだ。一面草原の河川敷で、うす暗くなり始め た空に不気味に浮かんでいる。その後、スクーターに導かれるままに、土手を下ったカオルは、高架橋の下に何人かの人影を見る。
 カオルは、疲労でかすれる目に力を込めて、それらの人影を確認した。
 ひときわ背が高く、学生服の上からでもがっしりとした体格がわかるのが鮫口龍二さめぐち りゅうじ。昔と変わらぬ茶色く脱色した短髪と、細く切りそろえたまゆで、威圧する ような緊張感をただよわせカオルをにらんでいる。そのとなりには、今風のおしゃれな私服を着た男子がいる。この男子のこともカオルは知っている。内寺健太 だ。小学生時代の鮫口の友人で、中学では別の学校だった男子だ。美容院で整えたような、首にかかるぐらいの茶髪は昔とは違うが、格好にとても気をつかうと ころは変わっていない。そして、そのまたとなりに、カオルの知らない二人の男子がおり、その私服を着た二人に腕をつかまれているのは。
 ──彩華!
 乱れきった呼吸で、言葉にならない声を発したカオルは、両手をひざに突いた体勢のまま彩華を見る。
 白と灰色のチェックのプリーツスカートとこん色のブレザーは学校で見た時のままで、特に乱れてはいない。また、顔や腕など、見える肌の部分に傷やあざは ない。多分、暴行は受けてないのだろう。とても心配そうな表情でカオルのことを見つめている以外は、いつもと変わりはない。
 よかった……無事だったんだ……
 安心したためか、体中の疲労が一気に襲ってきたカオルはその場で崩れ落ちた。
「カオル!」
 彩華の叫びが草原を駆け抜けた。
 草原に頭を突いてうずくまり、青くさい草のにおいを強く感じているカオルに、彩華の声ははっきりと聞こえた。だが、極限状態での走りを続けてきた体はも うまったく動かない。カオルは目を閉じて体中の痛みに身をまかせるしかできない。
「あんたたち! カオルに何をしたの!」
 スクーターを手で押して、鮫口のもとへ歩いて来た学生服の二人に、彩華は険しい顔で聞いた。
 だが、その二人はニヤニヤと笑みを浮かべたあと、一人がすずしい顔で答えた。
「別に何もしてねーよ。親切にあんたのところへ案内してやっただけだ。原チャリでな」
 笑いの合唱が起こった。
 上を向いて茶髪をかき揚げながら笑う内寺健太。彩華の腕をおさえながらも、空いている手で腹をおさえて笑う私服の二人。駐めたスクーターにまたがろうと しながら笑う学生服の二人。だが、鮫口だけはにやけた顔はせず、十メートルほど先でうずくまるカオルを厳しい表情でじっと見ている。
 数人の男子に笑われた彩華は、答えた男子を鋭い視線でにらんだ。
「……そう、カオルにもウソ吐いて呼び出したのね」
「誰もウソなんて吐いてないだろ」
 横から答えたのは内寺健太だった。反射的に振り向いた彩華に続けて言った。
「おれが言った通り、カオリちゃんちょーピンチだろ。この通り、彼女ちゃんもちょーピンチだし、なあ」
 内寺は同意を求めるように仲間たちを見渡した。すると、鮫口以外はみんな、にやりと下品な笑みを浮かべたあと、くつくつと笑い出す。
 そんな態度で自分を見ている男子たちを、彩華は一人ずつ視線で切りつけたあと、冷たい声で聞いた。
「あんたたち、何でこんなことするのよ? カオルに何かうらみでもあるの?」
「だとよ、龍二」
 内寺はそう言うと、二枚目芸能人のような動作でずぼんのポケットに手を入れ、鮫口の方を見た。
 しかし、鮫口は答えない。代わりに、ゆっくりと歩き出し、そして、うずくまるカオルの正面で立ち止まった。
「久しぶりだな、谷風」
 鮫口の低くうなるような声を聞いたカオルは、震える手を地面に突いて鮫口を見上げた。鮫口は、宿敵をにらみつけるような目付きで、カオルを見下ろしてい る。
「テメェーのつらが忘れられなくてなぁ、わざわざ出向いてやったぜ」
 鮫口同様に厳しい表情になったカオルの、食いしばった口から言葉がもれた。
「……鮫口……今さら、なんで……」
「なんだテメェ、あれだけ世話になっといて、おれがテメェのことを忘れるとでも思ってたのか、あぁァ」
 その台詞を聞いたカオルは、かつての屈辱を思い出し、眉間みけんに しわが刻まれた。
 世話になっただと? 六年間おれをいじめたことは、鮫口のお世話だったとでも言いたいのか? そして、そのお世話はこれからもずっと続くと……そう言い たいのか?
 ──ふざけんな!
 カオルの怒りは一気に限界に達した。
 もし、カオルが極限まで疲労していなければ、今の鮫口の台詞を聞いたとたんに殴りかかっていただろう。カオルは、今でも鮫口にけんかで勝てるなんて思っ てないし、まして、この場に五人も仲間がいる鮫口にしかけるなど自殺行為だ。だが、そんなことなど考える前に、怒りのままに行動したことだろう。
 しかし、疲労のあまり立ち上がることさえできないカオルは、ただ悔しさで奥歯をかみしめて、鮫口をにらむしかできない。
 そんなカオルと鮫口のやりとりを見ていた内寺が、二人のもとへ歩いてきた。
「龍二、二人だけで盛り上がらないで、おれらも混ぜてくれよ」
「内寺……」
 カオルは言いながら内寺をにらみつけた。
 内寺健太。はやりの服装で身を固めたこの男子は、小学生時代に鮫口龍二や黒 屋浩平くろやこうへいと三人でつるんで、率先してカオルをいじめて いた男子だ。カオルをいじめることで、鮫口は強さを、黒屋は卑劣さを、内寺はおしゃれな格好を、それぞれ周囲の人に見せつけていた。おそらくカオルは、三 人が自己顕示欲を満たすための格好の道具だったのだろう。

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