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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第七章 激情 3

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 内寺は、そんな鮫口を見てため息を一つ吐くと、彩華の方へ視線を戻し上から下までなめるように見た。
「まあ、とんだ掘り出し物はあったから、文句はねーけどさ。にしても、カオリちゃんがヘタれじゃないって……彼女ちゃん、勘違いしすぎ。昔のこと何も聞い てねーんだろうけどさ。まあ、自分の彼女に恥ずかしい話するやつなんていねーか」
 その台詞にカオルはぎくりと反応し、手足がかすかに振るえ出した。それから、ゆっくりと頭を動かし、何か得体のしれないものを恐れるような目で内寺を見 た。しかし、内寺はそんなカオルのことなどお構いなしに、いや、もしかしたら、カオルが一番恐れているものを知っているからこそ、その話を続ける。
「せっかくだから、おれが教えてやるよ。カオリちゃんがどんだけヘタれだったかをよ」
 ──やめろ!
 カオルは心の中で力の限り叫んだ。
 頼む、お願いだからやめてくれ! その話は……その話しだけは、彩華にしないでくれ……お願いだ!
 前にカオルが異常な怖がりを見せた原因が、目の前の男子たちだと彩華は気づいている。彩華ははっきりとそう言った。恐らく、カオルが彼らにいじめられて いたことも、勘のいい彩華ならうすうす気づいているだろう。だが、カオルはそのことは考えない。みじめないじめを受けていた事実を、彩華に知られたくない という強い思いのため、都合のいいようにしか考えられない。
 けれど、カオルが都合良く思考することさえ、内寺は許そうとはしなかった。
「おれとそこにいる龍二はな、小学校がカオリちゃんと同じだったんだよ、六年間ずっとな。だから誰よりもよく知ってんだよ、カオリちゃんのことはな」
 そう前置きした内寺は、命がけで直訴するような顔のカオルを、見下すような目で見た。
「こいつなは、一年の時に転校して来たんだけどよ、そん時からおれたちにビビっちまって、ずーっと泣いたような顔してやんの」
 違う! そうじゃない! おれはお前たちのことなんて見ちゃいない! 母さんのことしか考えられなかったんだ!
 カオルは心の中で訴える。だが、所せん、言葉にならない訴えだ。内寺の話しをさえぎることなどできはしない。
「だからよ、お約束でからかってやったんだよ。けどよ、一言も言い返せねーの。何言っても、どんだけボコってもだよ」
 やめてくれ! おれの屈辱の過去をばらさないでくれ!
 カオルは振るえながら心の中で切願する。しかし、内寺は止まらない。かたかたと震るえるカオルから彩華へ向き直ると、もったいぶったような顔で質問し た。
「でよ、それからどうしたと思う?」
 言うな! 言わないでくれ! 彩華にだけは!
 心の中でどんだけ訴えたところで、内寺は話しを止めはしない。そんなこと、カオルにはわかり切っているのだが、カオルは心の中で訴えることしかできな い。
 そして、内寺はさも面白いことを言うように、目をらんらんと輝かせると、両腕を左右に大きく開きながら言い放った。
「──毎日ボコり放題だよ!」
 舞台の壇上に立ち、自身の栄光の過去を大勢の聴衆ちょうしゅうに 打ち明けるような、自信に満ちた言い方だった。
 その台詞を聞いて、私服の二人も、学生服の二人も、英雄を見るような目で内寺のことを見た。だが、内寺はそれだけでは満足しなかったのか、栄光の後日談 をもくわしく語ってつけたした。
「でもよ、そんだけやられても、カオリちゃんはヘタれなビビリちゃんで、何もやりかえせねーまま。まるで人形だよ。いや、殴り放題だから、サンドバックっ てところか。今まで色んなやつをボコってきたけど、こいつほどのヘタれはいなかったぜ」
 違う! 違う! 違う! 違うんだ!
 カオルは自分の両腕を抱え、頭を左右に振りながら、内寺の言葉を必死に否定する。しかし、その否定はいつわりだ。内寺の言うことは正しく、カオルはまさ にその通りの人間であったことを、カオル自身はよく理解している。だが、その過去を彩華には知られたくないという願望から、必死に否定するのだ。
 いじめ。それは、力も心もどうしよもなく弱く、何もできない者が受ける屈辱の洗礼であり、情けない落後者の証。カオルはいじめをそのように考えている。 だから、いじめられる自分の姿を彩華にだけは絶対に見られたくなかったし、いじめられていた自分の過去を知られたくなかったのだ。
 これ以上ないほどに打ちのめされているカオル。しかし、内寺は、そのカオルを一生立ち直れなくするつもりなのか、いやしい者を見る目でカオルのことを見 ると、指差しながら最後の言葉を言い放つ。
「つまりな、彼女ちゃんがカッコいいと思ってるこいつはな、六年間ずっと、
 ──ヘタれないじめられっ子だったんだよ」
 内寺は、明確な言葉でもってカオルがいじめられていたことを告げ、カオルの心にとどめを刺した。
 冷たい風が、早波川を上流から下流へ駆け抜けた。
 今の内寺の告白で、心の中で叫ぶことさえできなくなったカオルは、地面に両手を突いてうなだれると、草が風にゆれるのをただぼうっとながめ続けた。
 彩華をおさえている私服の二人と、カオルをいたぶっていた学生服の二人は、視線を内寺からカオルに移した。その目はすぐに、英雄を見るものから、汚い乞 食を見るものに変わった。
「つーわけだ。まあ、そんな恥ずかしいこと、彼女に言えるわけねーよなぁ」
 そう言って肩をすくめた内寺は、彩華へ軽い笑みを見せた。
「こんなヘタれとなんか付き合ってないで、おれらと遊びに行かねーか。もちろん、カオリちゃんのおごりでな」
 男子の笑いがこだました。
 私服の二人と、学生服の二人だ。とても愉快そうに笑っている。それを見た内寺は、機転の効いた良い笑いが取れたと思ったのだろう、自らも歯を見せるほど に笑いだした。
 そこへまた、くつくつと新たな笑いが混じり始めた。
 おかしい気持ちがこらえ切れなくなり、思わずこみ上げるような笑いだ。
 下を向いたまま肩を細かく振るわせて笑うその人物は、なんと彩華だった。
 先ほどの内寺の告白を、下を向いて無言で聞いていた彩華が、今の内寺の台詞を聞いて笑いだしてしまったのだ。
「かおりちゃん、ヘタれ過ぎで、彼女にまで笑われてるぞ!」
 大きな声を張り上げたのは内寺だ。まるで、世紀の大発見をしたかのような表情だ。
 すると、またしても、男子の笑いがこだました。
 彩華にまで笑われ、そのことを内寺たちに笑われたと思ったカオルは、悔しさのあまり自然と拳を握りしめた。ぶちぶちと草がむしられる音が、風に乗って川 下へ流れる。だが、彩華の冷たい声が、男子の笑いを断ち切った。
「バカじゃないの? あんたたちがバカでヘタレでどうしようもないから笑ってんのよ」
 その台詞を聞いて険しい顔になった男子たちは、口々に威嚇の言葉を発した。だが、彩華は一切ひるまない。それどころか、険しい顔の男子たちをさらに挑発 するようなことを言い放つ。
「カオルをいじめたこと、何自慢げに語ってんの? 大勢でたった一人をいじめる人こそ、どう考えたってヘタレでしょ! そんなこともわからないって、あん たたちどんだけ頭悪いのよ!」
「ああぁァ! なんだとこらぁァ! もういっぺん言ってみろやぁぁァ!」
 さっきカオルをいたぶった学生服の一人が、馬鹿でかい声を張り上げた。
「一度で理解できないなら、何度でも言ってやるわよ! あんたたちと違ってカオルはね、どんな時も一人で努力して、最後には必ずやりとげる、そういう人間 なの! そのカオルをね、群れなきゃけんかもできない弱虫が、ヘタレ呼ばわりするのが滑稽こっ けいだって、そう言ってんのよ!」
「んだとこらぁァァ!」
「何よ!」
 二人の激情が大声となって激突した。彩華もその男子も、今にも殴りかかりそうな剣幕でにらみ合い、二人からあふれ出た緊張がだく流となって河川敷を飲み 込んだ。危険水位をゆうにこえたその緊張は、決壊直前の川のごとく、惨劇への予感をみなぎらせている。
 危険な緊張を肌で感じとったカオルは、頭を上げて彩華を見た。
 聖域を犯され怒り狂う女神のように、激しい怒りを全身で表していた。
 彩華がこれほどまでに激しく怒る姿を、カオルは今まで見たことがなかった。だから、カオルは考えずにはいられない。なぜこれほどまでに彩華が怒っている のかを。すると、先ほど彩華が叫んだ台詞が脳裏をよぎった。
 ──大勢でたった一人をいじめる人こそ、どう考えたってヘタレでしょ!──
 ──群れなきゃけんかもできない弱虫が、ヘタレ呼ばわりするのがこっけいだって、そう言ってんのよ!──
 その声は、にえたぎるような彩華の感情とともに、言葉に込められた彩華の思いをカオルに伝えた。それはカオルをいじめた者を許せないという思いだ。それ はカオルをヘタれと侮辱した者を許せないという思いだ。その思いが激しい怒りの感情として現れているだ。そう、かつて見たことがないほど激しい彩華の怒り は、カオルを苦しめた者に対する怒りなのだ。
 なのにカオルは、先ほど彩華がカオルのことを笑ったと、一瞬でも思ってしまった。彩華はいつでもカオルの味方だったのに。何かあるたびに本気でカオルの ことを心配してくれたのに。中学でカオルが失意のどん底にいた時も。八岡とけんかして怪我をした時も。大切な指輪を失くして落ち込んでいた時も。

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