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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第九章 怪物 2
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だが、カオルは無言だ。混乱のためか、事実があまりに突飛であるためか、青浦の言ったことをすぐには理解できない。無言のままその内容を頭の中
でくり返す。
……特殊な研究のための強化人間? ……そいつが、ある日突然いなくなった? ……それが、このおれだと? こいつらは、そのおれをねらって襲ってき
たってことか?
カオルは周囲を見渡した。
手に武器を持ついかめしい顔の男十数人が、カオルと彩華と正志を取り囲んでおり、景子と奈々美はその男たちにつかまっている。その男たちの囲いの外
から、真相を明かした青浦がカオルを見すえている。青浦の両わきには、能面のような男と金髪の少女が立っている。
血の流れる右腕をおさえながら、驚き顔の正志。カオルの背中に手を差し伸べたまま、困惑顔の彩華。男たちに取り押さえられ、険しい顔の景子、絶望感のに
じみ出た顔で震える奈々美。
みんなカオルに食い入るような視線を向けている。
「……うそだ」
カオルの口からぼそりと言葉がもれた。
否定したい気持ちが言葉となって現れたのだろうか。その言葉には根拠はない。だが、それでも否定せずにはいられない。
その数瞬後、一転して厳しい顔
になったカオルは、青浦があわれむような目で自分を見ているのを、貫くようににらみつけ、大声で叫んだ。
「うそだ!」
だが、青浦は一切動じない。
「うそではありません。先ほども言ったように、裏は取ってあります。それに、君の顔を見れば、誰でも──」
「そんなこと、ありえない!」
「信じたくない気持ちはよくわかりますよ。自分が実験動物だったなんて誰しも思いたくないでしょう。しかも、自分を実験動物にした相手が、じつ──」
「絶対にうそだ! おれが強化人間だなんて! おれは何も知らない!」
「何も知らされていないからですよ。ですが、自分は他人とは何か違うという、自覚ぐらいはあるんじゃないですか?」
「ない! そんな自覚なんて何もない!」
「自分は視覚情報の処理が普通ではないと、そう感じたことはないのですか?」
「……何だそれは」
「動いているものが、ゆっくりに見えることはないのかと、そう聞いているのですよ」
カオルは口をつぐんだ。
「あるようですね」
「ち、違う! ……これは、ゾーンだって、景子先生が、そう言って……」
「ゾーン? 超感覚とか言うやつですか? それは間違いですよ。君の特異な視覚、とりわけ動体視力のみに特化した視覚は、人為的に作られたものです。つま
り、その異常に高い動体視力こそが、強化人間としての君の力です。もっとも、試験型の君は、他にも解明されていない能力があるかもしれませんが」
「……うそだ……そんなのうそだ……この力はゾーンだって、景子先生が言って……」
かたくなに否定するカオル。だが、言葉に現れた動揺はかくし切れない。
その様を見て、青浦は大きく肩をすくめ、またも眼鏡のずれを直しながら言う。
「どうしても認めたくないようですね。なら、聞きますが、なぜ初対面のわたしが、君の能力のことを知っているのですか?」
「そ、それは……」
「強化人間開発プロジェクトに、君と、君の能力についての情報が、極秘に残っているからですよ」
「…………」
カオルは、青浦の言葉を否定できなかった。ただ、無言で考えるしかできない。
……ほ、ほんと、なのか? おれが強化人間だって言うのか? ものがゆっくりに見えるあれが、強化人間の力だって?
カオルはすがるような気持ちで景子を見た。先ほど金髪の少女にスタンガンで気絶させられ、今は二人の男に両腕をおさえられている景子は、何も答えてくれ
ない。
その景子の横に、かたかたと震える人物が見えた。奈々美だ。景子と同じ様におさえられ、恐怖におびえ、今にも泣きそうな顔をしている。奈々美がこんな危
険な目にあい、怖い思いをしているのは、全てカオルが原因だった。
カオルのせいで危険な目にあったのは景子と奈々美だけではない。
カオルは正志を見た。
血に染まった右腕をおさえている。ブレザーのそで口からのぞく、赤く染まったワイシャツと、足もとに落ちた血のあとが目に飛び込んだ。だいぶ失血してい
るのだろう。
カオルは見ていられなくなり、その血から目をそらすように、今度は彩華を見た。
すぐ近くにいる彩華は、驚きの表情だった。だが、その中にカオルは感じた。何か得体の知れないものに対する恐怖のようなものを。その彩華の手。先ほどま
でカオルの背を支えていた右手は、いつのまにか離れている。
カオルは彩華から目をそらして、今度は下を向いた。
景子、奈々美、正志、彩華。みんな、心や体に大きな衝撃を受けている。それらの原因は、全てカオルだったのだ。だが、青浦の話を聞くまで、カオルはそん
なこととは一切知らなかった。なんとも間抜けな話である。
「どうしました? 自分が強化人間だったと知ってショックですか? それとも、自分のせいで友達が犠牲になるのが悲しいのですか?」
青浦の声が聞こえた。だが、カオルは反応できない。
「君の気持ちは察しがつきます。何しろ、友人が怪我までしているのですからね。君が強化人間であるがために」
カオルはびくりと反応した。
「どうです、わたしと一緒に来てはくれませんか? もし、来てくれるなら、今すぐ友人方を解放して差し上げますよ」
カオルは顔を上げ、青浦を見た。
「わたしが一言、黒竜組の若頭に言うだけで、怖いお兄さん方は今すぐお帰り下さいますよ」
カオルは取り囲む男たちを見渡す。厳しい顔。憎々しげな顔。冷徹な顔。様々な顔がカオルのことを険しくにらんでいる。だが、それらの怖い顔に混じって、
にやついた顔の男も何人かいる。決着が付いたと思っているのだろう。
カオルは、もう何も見たくないといったふうに、男たちからも目をそらし足もとの敷石に視線を落とした。
そのカオルに、青浦はささやきかけた。
「友人方を救うのか、このまま見殺しにするのか、──全ては君の決断次第です」
カオルの頭がぴくりと動いた。
救うのか、見殺しにするのか、全てはおれ次第……
ジョギング中にたまたま通りかかった景子先生。おれたちに加勢したばかりに、スタンガンをくらって気絶させられてつかまった。
薪負い神社で巫女のアルバイトをしていた奈々美さん。おれに声をかけてくれたばかりに、一緒にやくざ者に追われることになって、とても怖い思いをした上
につかまった。
昨日休んだおれと彩華を心配して、今日は付き合ってくれた正志。おれを刺そうとした鮫口のナイフから、おれをかばったばかりに、右腕を切られて血を流し
ている。野球をやるために大切な右腕を。
いつでもおれと一緒にいてくれる彩華。今日だけでなく、一昨日もおれのせいで危険な目にあい、顔を殴られた。おれのために怒り、憎んでくれたから、殴ら
れることになったんだ。
何だよ、全ておれのせいじゃないか。全部おれが原因なんだよ。何もかも全て。
ほんとなら、おれ一人がつらい思いをすれば済むことだったのに、みんな、おれに優しくしてくれたばかりに、一緒に苦しい思いをしてしまったんだよ。それ
だけだよ。だったら、今からおれが一人で犠牲になって、みんなを助ければいい。それが当然のことだ。むしろ、今からおれがこいつと行くだけで、そのみんな
が助かるなら、こんな幸運なことはない。
そう考えたカオルは、ぼそりとつぶやいた。
「……本当に、みんなを助けてくれるんだな」
「ええ、約束しますよ」
「だったら──」
カオルは眼鏡の男、青浦茂の方へ歩き出した。
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