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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第九章 怪物 3
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ただ青浦だけを見て、ゆっくりと、ゆっくりと歩くカオル。なぜ、青浦以外を見ないのか、カオル自身はわかっていないし、考えもしない。それは、
もしかしたら、つらいからかもしれない。誰かと目を合わせてしまうのが。景子。奈々美。正志。彩華。自分のせいで苦しい思いをさせてしまった人たちへの罪
悪感ゆえの行動なのかもしれない。
「カオル……」
悲しげな声が、カオルの背中に届いた。彩華だ。
その声にカオルは、一瞬、足を止めそうになる。だが、まるで聞こえなかったように歩き続ける。
「……行かないで」
またも、彩華の悲しげな声が届く。
だが、カオルはその言葉も無視して歩き続ける。すると、彩華の叫びがカオルの背中を貫いた。
「行かないでよ、カオル!」
カオルは思わず振り返り、大声を出す。
「じゃあ、どうすればいいんだよ! どうしようもないだろ! あいつが言った通り、全部おれのせいなんだよ。だったら、おれが行くしかないだろ!」
「なんでカオルが責任感じるのよ! カオルがほんとは強化人間だったから? そうだとしても、カオルは何も悪くないでしょ!」
「悪い、悪くないの問題じゃないんだよ! おれのせいで友達がつらい思いするのはもう嫌なんだ。おとといみたいなのは、もう嫌なんだ!」
「何、勝手に勘違いしてんのよ! おとといのこと、わたしつらいなんて思ってないわ! むしろ、逆、うれしかった。あんなクズみたいな連中、絶対に許せな
い。もし、カオルが戦わなかったら、わたし一人でも戦ったわ! それを、カオルが倒してくれてうれしかった。だから……、だから、あの時みたいに、何とか
してよ! こんなクズみたいな連中、あの時みたいに叩きのめしてよ!」
大声で言い放った彩華。そのカオルを見る目に、何かに対する恐怖はもうない。まっすぐな目でカオルの目を見ている。
「彩華の言う通りだ」
横から力強い声が上がった。
カオルは振り向いた。正志だった。
「おれも彩華も、つらくなんてないし、カオルのせいだとも思ってない。どう見ても悪いのはあいつらだ!」
言って、正志は青浦たち三人を鋭く指差した。右腕をおさえていたその左手は、血にぬれてはいるが声同様に力強い。
「わたしは悪人です、わたしはうそ吐きですって顔に書いてある。なのに、ここでおれと彩華を裏切って、あいつに付いていくようなら、お前はもうおれの親友
なんかじゃない。だけど、もし、今でもおれの親友なら、最後まで戦え! おれと一緒に戦え!」
正志はまっすぐな目でカオルを見た。出血のためか、青白くなってはいるが、それは正志の本気の顔だった。正志が強化人間でないかと疑い、口論までしたカ
オル。そのカオルが実は強化人間だとわかった今もなお、正志は変わらずに親友と言ってくれ、本気の言葉をかけてくれる。いつわりのない真の友なのだろう。
カオルたちのやりとりを、二人の男に腕をおさえられて見ていた景子。
その景子がカオルに向かって厳しく言った。
「この状況で、わたしたちを帰すなんてありえないわ。谷風君、わたしを失望させないで!」
景子の横で、同じようにおさえられている奈々美。
恐怖の表情で、かたかたと振るえていた先ほどとは違い、何かを心から信頼するような、希望に満ちた顔だ。
「カオル君、あきらめないで下さい! カオル君なら、きっと──いたっ!」
言いかけたところで腕をしめ上げられ、奈々美はとても痛そうな顔をした。
だがそれでも、真剣な目でカオルを見て、続く言葉を口にする。
「あの日の夜みたいに、なんとかしてくれるって、わたし、信じてます!」
根拠のないことを、またも奈々美は言い切った。景子邸から一緒に逃げた夜のように。
誰一人、カオルを責めるものはいなかった。
それどころか、この状況をカオルが切り開いてくれると、心のどこかで期待している。カオルにはそう感じられた。
自分のせいでみんなを巻き込み、つらい思いをさせたと、カオルは悪い方向にばかり考えていた。けれど、みんなの言葉が最高のはげましとなり、冷静な思考
を取り戻させる。
そうだ、この状況で無事に帰すなんて絶対にない。人が連れ去られるところを目撃した人間を、何事もなく帰すわけがない。それは、景子先生の言う通りだ。
悪い状況だからって、おれは弱気になってたみたいだ。でも、この手の連中には、弱みを見せたら終わりだ。そのことは、他の誰よりも、おれが一番よく知って
いることだろ。だから、戦って切り開くしかないんだ!
カオルは青浦へ振り返った。
それから、燃えるような闘志のこもった目で青浦をにらみつける。
「谷風君、どうしたんですか? さあ、わたしと一緒に来てください。そうすれば、みなさんを解放して差し上げますよ」
「うそだ。お前はみんなを解放する気なんてない。こんなやくざものを使って、力づくをする人間が、そんな優しいわけがない」
「それは……」
一瞬、青浦は言いよどんだ。だが、眼鏡のずれを直すと、すぐに続ける。
「君が桜川に
懐柔されていると思っ
たからですよ。わたしの言葉などには耳を貸さないと、そう思っていたからです。ですが、幸運にも君は、あのろくでなしのことを一切知らなかった。だから、
君とは会話する余地があると、そう考え直したのですよ」
「カオル、惑わされるな。そいつはその桜川以上のろくでなしだ」
横からあがった声は正志だった。
振り向いたカオルへ、正志は続ける。
「その眼鏡が、さっき自分で言っただろ。カオルに使われた特殊な理論は金になるって。間違いない、そいつは産業スパイと手を組んでるんだよ。カオルを実験
体に研究して、その成果をこっそり金で売る、本当のろくでなしだ。カオルのことをそっとしておいてくれた桜川の方が、ずっとまともな人間だ」
「なかなか知恵の回る少年ですね。ですが、スパイなどとは人聞きが悪い。これはビジネスです」
カオルは、ビジネスという言葉に不快感を感じ、青浦へ振り向く。
「どうやら、わたしのビジネスが気に入らないようですね。では、一つ質問しますが、なぜ、かつての冷戦時に、大規模な戦争が起こらなかったかご存知です
か? お答えしましょう。それは、東側へ核技術を売る、わたしのようなビジネスマンがいたからです。そのため、東西のバランスがとれて、全面戦争にならな
かった。──いうなれば、その者が受け取った報酬とは、世界平和に貢献した対価なのです!」
青浦は、両腕を大きく開きながら言い切った。他人のことなのに、まるで自分のことのようにほこらしげだ。
だが、カオルはさらなる不快感に襲われただけだった。
……こいつ、何を言ってるんだ? 大戦争が起こらなかったのは、こいつみたいなスパイのおかげだって、こいつの行為は世界平和になるって、そう言いたい
のか?
もやもやとした気持ちの悪さが吐き気のようにこみ上げてくる。
違う! それは絶対に違う! おれにだってわかる。金のためだ。こいつは金のために、他人を傷つけ、犠牲にし、それを世界平和などと、ほざいてやがるん
だ! こいつ、最低だ。正志の言う通り、本当のろくでなしだ!
こみ上げた気持ちの悪さは、どす黒い怒りへと少しずつ変わっていく。だが、その怒りは、鮫口や矢岡たちへのような、熾烈に燃え上がる怒りとは違う。冷た
い湖の底にひそむ闇のように静かなものだ。しかし、その怒りは、確実にカオルの心にたまっていき、戦う意志へと形を変える。
強くかみしめた奥歯と、固く握りしめた拳が、じりじりとかすかな音を出す。冷たい怒りに満たされたカオルは、さらに険しさを増した目で青浦のことを鋭く
貫く。
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