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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第九章 怪物 7

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 二人が見たのは、烈火のような激しい怒りを全身で表すマリーだった。
 二十メートルほど後方で、白い顔を怒りで赤く染め、両手をわな わなと振るわせ、ゆっくりと歩いて来る。青い炎がめらめらと燃えるひとみに、ただ一人カオルだけを焼きつけている。黒いスカートと金髪のツインテー ルが風になびく様は、怒りが体から立ちのぼっているかのように錯覚させる。
 そのマリーを見て、カオルはすぐにさとる。
 最新型の強化人間としてプライドを持っていたマリーは、カオルが自分より弱いとあなどっていた。だが、カオルの作戦にものの見事にはまり、プライドがず たずたに傷つけられた。だから、これだけ激しく怒っているのだと。
 貧血でほとんど走れない正志と、逆上して激しい怒りを見せるマリー。一瞬成功したかに見えた作戦は、完全に裏目に出てしまった。
「ぎたぎたの、ぼろぼろにしてあげる……」
 言葉と一緒に怒りをにじみ出すマリーは、さらに近づいていた。この距離では、正志を背負って逃げるのはもう無理だろう。
 正志もそのように考えたのか、真剣な顔で言った。
「カオルだけでも早く逃げるんだ。おれはすきを突いてあとから行く。だから──」
「わかった……」
 静かに答えるカオル。固い決意が現れたような目は、正志の目を真正面から見ていた。
 カオルは立ち上がった。それから、ゆっくりとマリーの方へ振り向いた。
「……カオル?」
 正志は顔に疑問を浮かべた。しかし、カオルは答えずに歩き出す。
 なあ、正志。体育館裏でおれが矢岡たちにやられてた時、実はな、おれはもう戦う気力さえなくしていたんだ。だけど、お前が来てくれたから、おれのことを 親友だと言ってくれたから、おれはもう一度戦えたし、お前が一緒に戦ってくれたから、矢岡たちにも勝てたんだ。そして、今日、鮫口にナイフで刺されそうに なった時、お前はおれをかばってくれた。大事な右手を犠牲にして。青浦とか言うやつの言葉にだまされそうになった時、お前は本気でおれを止めたくれた。
 おれをかばった時の怪我のせいで、そのお前が走れなくなったからって、おれがお前を置いて逃げると思うか? お前の親友はそんな情けない人間だと思う か? それは違うぞ、絶対にな。例え相手が化け物だろうと、つかまったら悲惨な運命が待っていようと、そんなことは関係ねぇ。お前がおれにかけてくれた気 持ちには、おれは、おれの全てをかけて答えて見せる。
 カオルは歩きながら意識を研ぎ澄ました。
 すると、怒りの形相で歩いて来る少女が、一瞬にして無彩色に切りかわると同時に、視覚以外の感覚が消失する。
 運動型の強化人間マリー。こいつの腹は金属みたいな硬さだった。多分、筋肉を動かす神経が異常に強化されてるんだろう。だとしたら──
 カオルは大きく前傾すると、全身の力で地を蹴り、そこまで近づいているマリーに自ら突っ込んだ。
 マリーは顔に一層の怒りを浮かべ、超低空姿勢で駆け出しながら叫んだ。
「ぶっ飛ばす!」
 直後、わずか数歩で全速に達した二人は、激しい疾風をまとって同時に踏み込むと、全ての力を込めた拳を放ち合う。
 極限まで高まったカオルの集中力は、影絵のような視界の中に、空間のゆがみとしか見えない一撃をかすかにとらえた。
 カオルは瞬時に顔をかたむけ眼前でやり過ごしざま、駆け抜けた烈風でかすれる視界にかまわず、みぞおちめがけ会心の拳を打ち込んだ。すると、かげろうの ようにゆれるマリーの体を、拳があざやかに貫通したかに見えた瞬間、手応えのなさで体勢を崩し、驚き顔からマリー突っ込むが、なんと、マリーの体は霧散し て 消え 失せた。
 ──バ、バカな!
 あせって即座に周囲を見渡す。だが、マリーはどこにもいない。影も形も存在しない。
 そこへ、突き抜ける強烈な殺気。
 寒気のような敗北の予感が全身をぞくりと駆け抜けた。その時。
 それは直接心に響いたように感じた。
 男のものか、女のものかもわからない。もしかしたら、自分の直感が発したものかもしれない。だが、確かに聞こえたのだ。上にいる、と。
 とっさにカオルは上を見上げた。
 鎮守の森を背にした石の鳥居の上、うす暗い空の下、黒い影がはやぶさのごとく急降下して襲い迫る。
 さっきのは残像だったと、気づく間さえないカオル。しかし、白黒の映像でマリーの動きを一瞬でとらえると、天を撃ち落とすかのごとく、全身を使って拳を 打ち上げた。
 空気を震わせ打ち破るマリーのひざと、風を切り裂き貫くカオルの拳。二つが交差した瞬間、体の中心を撃ち抜かれたマリーが、二つに折れ曲がって空中に弾 むと、地上にどさりと落ちて、砂利を激しく飛び散らせた。
 砂利があちこちに弾ける音が、殺伐とした空気に小気味良く響く。
 そして、跳ね飛んだ最後の砂利が、敷石の上で動きを止めた時、暗くなり始めた薪負い神社に静寂が訪れた。
 カオルたちも、男たちも、誰一人動いているものはいない。
 意識のあるものはみな、砂利の上の黒い影、丸まってかすかにけいれんするマリーを見たまま止まっている。
 そのマリーがゆっくりと顔を上げた。
 野性のけもののごとく、険しい目でカオルをにらんでいる。
 けれど、悔しそうに歯を食いしばるだけで、立ち上がれないでいる。
 胸に強烈な衝撃を受けたせいで、一時的に呼吸が停止し、ほとんど動けないのだ。
 カオルは、マリーが立てないと見て取った。すると、片ひざを突いている正志を立ち上がらせて肩を貸し、彩華、奈々美、景子とともに、神社の参道を走 りその場を立ち去った。
 どれだけ筋力が強かろうとも、筋肉のない部分に攻撃を受ければ意味がない。その筋肉が付かない部分であり、マリーの弱点であるみぞおち。カオルはその一 点に、相手の降下の勢いと、自身の拳の勢いを叩き込んだのだった。

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