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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第十章 邂逅かいこう 1

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 真っ暗な世界。
 光が射さず何も見えないだけでなく、空気が無く、大地も無い、本当に何もない世界。
 体が消失しているカオルは、意識だけとなってその真っ暗な世界をただよっていた。
 意識さえも、自分からは思考することなく、あらゆるしがらみから開放された心地良さを、ただただ感じるだけだ。
 しばらくその感覚にひたっていたカオルだが、しかし、少しずつ思考が戻り始め、同時に体の感覚も戻り始めた。
 ほおに暖かなものを感じる。シルクのように、さらさらとなめらかで、マシュマロのように、ふわふわとやわらかい。時折、体に合わせてゆれるカオルの顔 を、包むように優しく受け止め、食べごろの果物のような甘い香りをただよわせる。
 どうやら、すわった姿勢のカオルは、顔を何かにもたれかけているようだ。
 その暖かいものに手を置きながら、ゆっくりと顔を上げた。
 すると、かすかな駆動音に混じって、女性の冷静な声が聞こえてきた。
「どうやら目が覚めたようね」
「……ん?」
 カオルは目を開けながら、声のした方を向いた。
「あら、まだちゃんと覚めてないのかしら?」
 意志の強そうな理知的なひとみが、間近からカオルを見ていた。
「……景子先生?」
「そうよ。わかったら、そこから手をどけてもらえるとうれしいんだけど」
 そこ、と景子が視線で指した場所を見た。
 無造作に置かれたカオルの手が、体のゆれに合わせてぷにぷにとそこを押していた。
「す、すみません!」
 あせりまくったカオルは、あわてて手をどかす。
 それから、まわりを見渡した。少し暗い空間で、となりには景子が、正面には彩華と奈々美がすわっている。窓から見える街の景色は後方へ流れ、タイヤが路 面を走る音が聞こえる。どうやらここは車の中だ。駆動音や体のゆれはそのためだ。
「カオル君、口もとぬれてます。これ使ってください」
 声をかけられ、正面を振り向くと、白い小そでに紅のはかまを着た、巫女さん姿の奈々美がハンカチを差し出している。
 カオルは自分の口もとを手で確認した。よだれでぬれている。さらに流れそうになるよだれを、じゅるじゅるっとすすりながら、奈々美からハンカチを受け 取った。そして、口もとをふきながら、昨日の夢のようにうすれている記憶をたどる。
 なんで、おれは車の中にいるんだっけ? うーん、確か、神社でやくざと戦って、そしたら、強化人間がでてきて、で、そいつらから逃げ出して……また知ら ない男たちが出てきて……いや桜川詩織の使いで、中久とか言ったかな? そうだ! その中久って人が、桜川詩織のところへ案内するとか言い出したんだ。そ うか、それで車の中にいるんだった。知らない間に、また意識を失っていたみたいだ。でも、桜川詩織っていったい何者なんだ? 青浦は、天才科学者で強化人 間の開発者って言ってたな。青浦みたいなやつなのか? どちらにしろ、用心しないと。
 手を止めて考えにふけるカオルへ、景子が話しかけた。
「谷風君、口もとはふき終わったのかしら? それなら、ここに付いたよだれも一緒にふいてもらえないかしら?」
「えっ? あ、はい、いいですよ」
 カオルは快く返事をすると景子の方を振り向いた。
 黒のスパッツに白のタンクトップ姿で背筋を伸ばし、その部分を見せていた。
 深いみぞの辺りがべっとりとぬれていて、タンクトップまで染みている。
 カオルは動きが止まってしまった。ハンカチを持つ手は空中で停止している。
「どうしたの? 早くしてくれないかしら」
 ニヤリと笑みを浮かべ、景子が言う。
 けれど、カオルはまったく動けない。
 直後、ハンカチはカオルの手から素早くうばわれ、その速さのまま景子のところへ飛んで行くと、ぬれた部分に当てられた。
「け、景子様、わ、わたしがおふきします」
 あわてた声は奈々美だった。それから、奈々美は丁寧にふき始める。
 カオルの行動の一部始終を見ていた彩華は、あきれ顔になり、ため息と一緒に言葉をもらした。
「何やってんだか……」
 中での出来事などお構いなしに、カオルたちを乗せたリムジンは走り続けた。

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