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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第十章 邂逅かいこう 2

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 空がだいぶ暗くなったころ。
 そこへ着いた時、意味のある言葉を口にする者は一人もいなかった。カオルも、彩華も、奈々美も、そして、景子でさえも。
 格子状の黒い鉄のさくで外界と隔絶された 空間だった。
 そこに広がる一面の花畑のような庭園には、白い石畳いしだたみの 道が十字に走り、芸術的な彫刻が彫られた噴水が中央にそびえている。白や黄色のちょうが楽しそうに舞い飛ぶ背後で、噴水から空にほとばしった幾筋もの水流 が、夕日にきらきらと輝いている。奥には白い建物が見える。四角い石を規則正しく並べた外壁が いへきには、大きな石の柱が何本も組み込まれている。光をまぶしく反射する光景は、まるで神話に出てくる宮 殿のようだ。
 桜川詩織の邸宅。そこは、天界の箱庭を思わせる幻想的な空間だった。
 カオルたちはみな、調和のとれた美しさに感嘆の声をもらすだけだ。
 黒い柵の大きな門を通過したリムジンは、石畳の道を通って白い建物の前で停止した。
 中久は、リムジンの扉を外から開け、カオルたちを建物の入り口に導く。そこには、大きな両開きの扉が構えていた。
 カオルは扉の前に立ち尽くし、かすかに緊張する。
 す、すごいきれいな庭と建物だなぁ。とってもお金持ちなんだろう。色んな功績を上げた天才科学者って言ってたから、まあ、それも当然か。桜川詩織……こ の屋敷の中にそいつがいる。いったいどんな人物なんだ?
 などと考えていると、大きな扉がゆっくりと開いた。
 明るく大きな空間が目の前に広がった。
 カオルたちは、二階へ吹き抜けの天井を見上げながら、赤いじゅうたんの上を歩き出した。大理石と思われる白いか べ。きらびやかに輝く豪華なシャンデリア。内装も外観に劣らず立派だ。
 少し行くと、正面の階段に人影が見えた。赤いじゅうたんが続く幅の広い階段を、おどり場の辺りから、ゆっくりと下りて来ている。
 女性だった。若く見えるが、多分、三十代半ばだろう。黒髪のショートカットが印象的な、優しい雰囲気の美人だ。黒いブラウスに灰色のスカートが、知的で 落ち着いた感じをただよわせている。
 女性は階段を下り終えると、ふと、その場で立ち止まった。カオルたちの方を見て、固まっているようだ。黒いひとみは、わずかにうるんでおり、じっとカオ ルたちを見ている。
 ……いや、違う。カオルたちではなく、ただ一人、カオルだけを見ている。
「カオル……」
 澄んだ声でつぶやいて、ふたたび歩き出した。どうやらカオルのことを知っている感じだが、カオルはその女性のことを一切知らない。この人が桜川詩織なの だろうか。
 その女性がカオルの目の前まで来て立ち止まると、カオルは不可解に思いながら聞いた。
「あなたが桜川──」
 言い終える前に、抱きしめられていた。
 戸惑うカオル。だが、女性は、感情が極まったような顔をカオルの胸にうめ、ほっそりと上品な体でカオルを強く抱きしめる。すぐに制服ごしに暖かさが伝 わって来る。
「あなたは、いったい……」
 カオルの言葉に、女性はぴくりと小さく驚くと、顔を上げて目を合わせた。目には涙と一緒に悲しさがにじんでいた。
「覚えてないのね、カオル」
 カオルはその女性の顔をじっと見た。とても整った顔立ち。見たほとんどの人が美人と言うだろう。景子のように、美人特有の冷たい印象はない。逆に親しみ やすさを感じる。けれど、やはり知らない顔だ。
 カオルは無言で首を振った。
 女性は、悲しみのためか、わずかに顔をふせて両目を強く閉じると、かすかに振るえ出した。だが、すぐに顔を上げ、意を決したように静かに言った。
「わたしは桜川詩織──あなたの母よ」
 その言葉は、カオルの頭に留まることなく通り抜けた。
 はっきりと聞こえはしたのだが、まるで異国の言葉のように、意味を取れなかった。
 そして訪れた静けさ。広い空間に、もの音一つ生じない。カオルだけでなく、その場の全員が身動き一つしていない。
 カオルは頭を通過した言葉をたぐり寄せる。
 ……桜川詩織……あなたの母。ああ、確かにそう言った。桜川詩織。だから、この人が、強化人間を作った科学者。そして、あなたの母親? ……つまり、お れの母? ……そ、そんな、まさか、お、おれの母さんだって言うのか!
 その女性、桜川詩織が口にしたのは衝撃の告白だった。

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