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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第十章 邂逅かいこう 3

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 しかし、カオルの記憶と明らかに食い違う。カオルはとっさに否定する。
「う、うそだ……お、おれに母さんはいない。母さんは、ずっと前に交通事故で亡くなった……。だから、母さんはいないんだ!」
「トオルさんには、そう聞いているのね」
「……トオルって……父さんの名前……」
 詩織はゆっくりとうなずいた。するとその時、カオルの首もとで光るものに気づいたようで、視線を向ける。
「カオル、このネックレス……」
 言いつつ、カオルの胸もとから銀のネックレスを引き出して手に取った。そして、なつかしいもののように見ると、それに通された銀の指輪に目を留 める。
「この指輪は?」
「母さんの形見だって、父さんが……」
 詩織は自分の左手の指をおさえた。そうして、カオルの前に手を差し出した。
 手の平の上には、何かが置かれている。
 見た瞬間、カオルは衝撃に打たれた。
 一瞬で全身に鳥肌が立ち、心臓が高鳴る。
 それから、震える手でその何かを受け取ると、大きく開いた目でじっくりと見る。
「こ、これは……」
「わたしとトオルさんの結婚指輪よ」
 詩織がカオルに見せたもの。それは、カオルの大切な指輪とまったく同じデザインの銀の指輪だった。結婚する男女が持ち合うペアリングなのだろう。
 ところが、それでもカオルは突然のことで受け入れられない。指輪が同じなのは偶然かもしれないし、もしかしたら、仕組まれたことなのかもしれない。知ら ないうちにカオルを強化人間にした相手だ。何を仕組んでもおかしくない。
「と、突然母さんだなんて言われても……し、信じられないよ!」
「…………」
 詩織は口をつぐんでしまった。
 すると、事態をずっと静観していた景子が口を開いた。
「谷風君、その人の言っていることは恐らく事実よ。もし、その人、桜川詩織さんが、谷風君のお母様なら、全てのつじつまが合うわ」
 両手を組み、視線をカオルから詩織へ移した。
「確か、青浦って男が言ってたわね。強化人間になる過程で、怪我の回復が大幅に早まるとか、詩織さんは重体の男の子を助けるために、その子を独断で強化人 間にしたとか。それなんだけど、もし、その男の子、つまり谷風君が、詩織さんの息子だったら、詩織さんが谷風君を強化人間にしたのは納得できるわ。母親が 息子の命を助けたいと思うのは当然よね。その時強化人間にされた谷風君に、記憶がないのも簡単に想像がつくわ。それは、谷風君が意識不明なほどの重体だっ たから。そうじゃないかしら?」
 景子はカオルへ向き直った。
「谷風君。今までに、命に関わるような怪我をして、意識不明になったことはないかしら? それで、病院に運ばれたりした経験はないかしら?」
 すぐに思い当たったカオルは目を見開いた。
 ……ある。中一のあの時だ。鮫口さめぐちた ちにニセの手紙で呼び出されたあの時だ!
「どうやら、心当たりがあるようね」
 景子は視線を詩織へ向けてから、続きを話しだした。
「谷風君が強化人間になったあと、谷風君は詩織さんのことはおろか、自分が強化人間であることも一切知らず、普通に生活していた。その理由も、谷風君が詩 織さんの息子であれば想像がつくわ。詩織さんは、息子の谷風君を実験体にされたくなかったからじゃないかしら? 谷風君に危険な実験をされたくない、青浦 のような人間のおもちゃにされたくない。だから、谷風君をプロジェクトからこっそり隔離して、足が付かないよう詩織さん自身も一切会わず、谷風君には何も 伝えず、普通の人と同じ様な生活をさせた。違うかしら?」
 景子の問いに、詩織は一呼吸おいてから答えた。
「はい。あなたの言う通りです」
 玄関広間は静まり返った。
 カオルは、何かを考えているかのように難しい顔をしている。
 それを見て、景子が付け足すように言った。
「それにね、谷風君。そんないきさつ考えなくても、その人が谷風君のお母様だって、みんなそう思ってるわ。わたしも、奈々美も、彩華ちゃんも、みんなね」
 カオルは、順番に彩華と奈々美を見た。
 彩華も奈々美も、目が会うと同時に無言でうなずいた。
 二人がなぜそう確信するのか疑問に想ったカオルへ、景子は言った。
「──よく似てるのよ、谷風君と詩織さんは」
 カオルは、ゆっくりと景子の方へ振り向くと、その目をじっと見た。
 景子は、優しく言い聞かせるように語りかける。
「詩織さんが、谷風君を強化人間にしたのも、そのあと谷風君に一切会わなかったのも、全て谷風君のためだと思うわ。詩織さんは谷風君を心から愛してる。わ たしはそう思うわよ」
 カオルは詩織の顔を見た。
「ほんとに……母さん、なの?」
 詩織はうなずくと、カオルのことをそっと抱きしめた。
「ずっと会わないで、本当にごめんなさい」
 詩織の声は、とても暖かみがあるが、同時に深い悲しみを帯びていた。
 それを聞いたカオルは、昔の記憶がかすかによみがえってくる。
 中学一年の時、体育館裏で鮫口たちにやられたあと、カオルが意識を取り戻したのは知らないベッドの中だった。いじめに抵抗する気持ちをくじかれた悔しさ を最後に感じ、意識がうすれかけていた。けれどその時、温かみのある声を聞いた。とても深い悲しみを帯びていた。その声がなんて言ったのか全部は覚えてい ない。しかし、かすかに覚えている言葉がある。
 ──どんなことがあっても強く生きて──
 心からの願いが込められたようなその言葉。記憶の奥底から浮かび上がると、頭の中でくり返しこだまする。すると、こだまするごとに少しずつ鮮明になって いく。そして、ついに完全によみがえった時、その声は、目の前にいる女性、桜川詩織の声と重なった。
 ……そうか、あの時の声はこの人……ううん、母さんだったのか。
 そう気がついた時、カオルは自然と詩織のことを抱きしめていた。
 小さいころのカオルは、大好きだった母の死でとても悲しんだ。今のカオルは、その悲しみを乗りこえて明るく暮らしてはいるが、悲しい記憶はやはり心の奥 に残っており、時々ちくりと心が痛むことがある。しかし、その悲しい記憶さえも、今こうして母を抱きしめることで、春に訪れる雪解けのように全て消えてな くなる感じがした。
「カオル、良かったじゃない」
 彩華が目をかすかにうるませ、とてもうれしそうに言った。かつてカオルが感じた苦しみに激しく怒ってくれた彩華は、今カオルが感じた幸せを一緒に喜んで くれている。
 その横で、奈々美は涙をぼろぼろ流し、顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「よ、よかっ、ヒック……ですぅ、カオ……グスッ、くん」
 しゃくりあげる奈々美は、上手く言葉を口にできなかったが、カオルの幸せを自分のことのように感じてくれている気持ちは、カオルに強く伝わった。

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