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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第十一章 死闘 4

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 野性をむき出しにしたような、獰猛どうもうな 鮫口の表情。
 それを見ているうちに、カオルにもまた、怒りとも憎しみともとれる感情がふつふつと込み上げてくる。
 鮫口、そこまでおれのことが憎いのか? そんなんになっても、おれを見るだけで憎しみを思い出すぐらいに。……ああ、よくわかったぜ。つまり、おまえに とっては、おれを打ちのめして殺すことが全てなんだろう。そのためには、どこまでも付きまとって、襲いかかってくるんだろう。おれをしつこく探しだし、仲 間をさそってリンチして、それがダメなら、学校をやめ、暴力団に入り、あげく命をかけてまでおれを倒す力を手に入れようとする。人生も、命も、あらゆるも のを犠牲にしてまで、おれを殺したいんだろう。おれの大切な人、彩華や、正志や、母さんを苦しめたいんだろう。それをやりとげるまで、永久におれに付きま とうんだろう。
 ──もうたくさんだ!
 カオルは声にならない叫びを上げていた。
 鮫口がぶつけてくる暴力のあまりの理不尽さに、怒りが一気に燃え上がる。
 おれたちの因縁は、お前らがいじめてきたことが始まりだ! おれは自分を守るために戦っただけだ! なんで、おれを……おれの大切な人をそこまで憎むん だ! 傷つけるんだ!
 感情の高ぶりにともない、意識が研ぎすまされる。
 視界に映るものが急激に暗くなり、視覚以外の感覚が弱まっていく。耳に聞こえる鮫口のうめきが、鼻に感じる血のにおいが、全身に感じる痛みがどんどん消 えていく。
 ……いいぜ、全ての決着を付けてやるよ。おれも全てをかけてやる! おれが死ぬか、お前が死ぬかのどっちかだ。次はない、絶対に!
 そう決意した瞬間、視界から色彩が完全に消え、見るもの全てが白黒となった。
 完全に発現した強化人間の力。怪物と化した鮫口の攻撃でさえ、今なら見切れるかもしれない。だが、カオルの集中は止まらない。感情の高ぶりも止まらな い。固い決意がさらなる力を際限なく引き出して行く。
 突然、全身に悪寒が走り、小刻みに震えだした。
 体に異常が起きたような細かく速い震え。細胞の一つ一つが力を生み出すために振動しているかのようだ。
 そのカオルを、詩織は倒れたまま見ていたが、急に顔を青くし声をしぼりだした。
「れ、連鎖組換え……カオル、暴走してはだめ!」
 強化人間の力の暴走。
 意識の集中と感情の高ぶりが行き過ぎると、極めて大きな力が出せる代わりに、自我を失い、最悪は命まで失ってしまう危険な現象。カオルはこの暴走状態に 入ろうとしているのだ。
 だが、今のカオルに詩織の声は聞こえない。過去の光景が頭の中で嵐のごとく渦を巻く。ニセの手紙で呼び出され、あざ笑われた時の光景。その後、大勢で痛 めつけられた時の光景。彩華が殴られた時の光景。正志が刺された時の光景。そして、今、目の前で倒れている詩織の姿。それらが、怒りと憎しみと悔しさをふ くれ上がらせ、理性を着実に崩壊させていく。
 ──全て終わりにしてやる、お前を殺すことで!
 カオルは心の奥で叫び、最後に残った理性の制御を解き放った。
 心を満たしていた赤黒い負の感情が、せきをを切って激しくほとばしる。それは純粋な破壊衝動となって全身を駆け抜け、命を守る無意識のいましめを次々に 解いていく。内から燃え上がるように、筋肉が熱くなり激しく膨張する。一瞬にして体が一回りも二回りも大きくなり、けもののような様相になった。だが、外 見以上に内面の方がはるかに凶暴化していた。鋭い眼光でとらえている獲物、死霊のごとく闇の中に浮かぶ鮫口を、ふくれ上がる破壊衝動のままに殴り殺すこと しか考えていない。そして、その破壊衝動が全身を満たし終えた時、受け止め切れない激情をしぼり出すように、腹の底から苦しげな猛り声を上げたカオルは疾 風と化した。
 ゆっくりと歩み寄る鮫口へ、カオルは激しく床をり、 打ち出されたように突進していた。
 弾丸のごとく突っ込むカオルの視界で黒い流線がわずかにひらめく。常人には残像さえ見えない鮫口の腕の一振りだ。カオルはその攻撃を瞬時に見定め、走り ながら胸の前で両腕を構える。だが、重い一撃を無理には受け止めず、衝撃を受け流しながら自ら壁の方へ横っ飛びすると、空中で回転して体勢を直し、その壁 を蹴って高速で跳ね返った。そして、鮫口の横を空中で過ぎ去る一瞬に、横っ面にこぶしを 叩き込みつつ着地すると、よろめく鮫口へ全速で走り込み、ふところに力の限りの体当たりをぶちかました。
 不意の攻撃をもろに受けた鮫口は、肺から息を吐き出しながら吹っ飛ぶと、そのまま玄関扉に激しくぶち当たる。馬鹿でかい衝突音が鳴り、衝撃で両開きの扉 が限界まで開く。
 開いた扉から夜風が吹き込んできた。だがすぐに、その風をかき消してカオルが走り込むと、床に落ちていたナイフがカオルの足に弾かれ玄関から外へ飛び出 し、直後、追撃に反応した鮫口も瞬時に飛びのき外へ飛び出した。すると、カオルも即座に後を追い、二人のけものは夜の闇に消えていった。
 玄関広間に残されたのは静寂だった。
 この場にいるものはみな、開け放たれた扉をぼう然と見つめることしかできない。
 開かれた扉からふたたび風が吹き込み、草花の香りが夜の冷気とともに広がった。
 今の二人の動きを正確に説明できるものがいるだろうか。恐らくいないだろう。二人の少年が、跳弾しまくる銃弾のように、目の前を跳ね回ったとしか見えて ない。はっきりとそう読み取れるような表情を、誰もが顔にはり付けていた。
 その恐怖にも似た表情に、新たな驚きを浮かべさせたのは、柱時計が時を告げる音だった。
 おもむきのあるぼやけた音が、ぼーん、ぼーんと等間隔に鳴り響く。その音に、はっと我に返った彩華は、玄関の入り口に向かって駆け出し、屋敷前の庭に出 た。
 それを見て、彩華は立ち尽くした。
 雲一つない空に、透き通るような黄色い月がきらきらと輝いている。
 その月の光が降りそそぐ花畑の箱庭には、青い花と白い花が今も静かに咲き続けていた。
 庭を十字に走る白い石畳いしだたみの中央 で、照明のうす明かりに照らし出された噴水から、水がこんこんと夜空へわき出ている。
 夜の魔力がこもったような神秘的な光景。
 その神話の挿絵のような景色の中を二つの影が高速で駆け回っている。
 それらの影は、並びながら一直線に加速したかと思うと、磁石の同極同士のように、突然反発して飛びのきあい、直後に激しくぶりかりあう。今度は曲線を描 いて逆方向に走りあうと、ふたたび引かれあって真正面から衝突する。二つの影が疾走するたびに旋風が巻き起こり、舞った葉が、散った花が、吹き上げられた 風にのって夜空を乱舞する。
 その光景をぼうっと見続ける彩華だったが、二つの影が一瞬止まった際、影の一つであるカオルの表情を見たためか、一瞬で顔が青ざめた。
 絶望を色濃く表す彩華の視線の先で、カオルは激情のままに戦っていた。渦巻く感情に支配され、相手が誰であるのかどころか、自分が誰であるのかさえもわ からない。ただ、つらくて、悲しくて、苦しくて、地上にある全ての苦痛を受けているかのごとく極限まで顔をゆがめる。それらの思いを吐き出すために、怒り を 右拳に込めて叩きつけ、憎しみを左拳に込めて振り抜く。
 それを見ていた彩華はかすかに振るえ出した。すると、一条の涙がほおを伝って落ちた。だが、彩華は自分が泣いていることには一切気づいていない。じっと カオルのことを見つめ続ける。
 その横では、彩華に遅れて出て来た者たちが立ち尽くしていた。景子、詩織、中久ら何人かの使用人。みな、ぼう然と見守るだけだ。
 エデンの園を思わせる神秘的な庭園で、地獄から迷い込んだ魔獣のような二人の男子が素手で殺し合う。もはや、男子と呼ぶことさえはばかられるこの二人 は、神の庭を汚す不浄な者なのか、それとも、神のいたずらで戦うこととなったあわれな者なのか。殴りあい、走り回り、つかみあって転げあう。花畑に置かれ た天使の彫刻が倒れて砕け、噴水を照らす照明が割れてガラスが飛び散る。体力が尽きることなどまったく考えない。今出せる力の全てをぶつけあう。力が強い ものが、動きが素早いものが、体力が続くものが勝利する単純な戦い。
 無限に続くかのようであった。どれほどの時間戦っているのか、戦っている者どころか、見ている方にもわからないかもしれない。だが、この果てしない戦い も、いずれは勝者と敗者を選び出す。そして、その最後の時を間もなく迎えようとしていた。
 全身傷だらけのカオルと鮫口は、中央の噴水の前で対峙たいじし ていた。威嚇いかくし あうけもののように、獰猛なうなり声をお互いに発している。体力の限界が近いのか、肉体へのダメージが大きいのか、動きがだいぶおとろえた二人は、最後の 精神力を振りしぼるように立っている。
 だが、拳に宿る力は一切おとろえてはいない。違う。おとろえるどころか増している。かつてないほどに強烈な力がみなぎっている。
 鮫口龍二。強さこそが全てであり、それ以外には一切の価値を見出さない。自分の将来と命を犠牲にして得た力でもって、おのれの強さを踏みにじった者を叩 き殺そうと、すさまじい憎しみの力を拳にのせる。
 谷風香。いじめによる心の傷を引きずり、自分のせいでまわりの大切な人も傷付くと考える。自分の理性と命を犠牲にして得た力でもって、自分たちを傷つけ る者を打ち砕こうと、激しい怒りの力を拳にのせる。
 二人を取り巻く殺気が強さを増す。巨大な炎のように激しく燃え盛り二人を包み込む。
 次の一撃で決着が付く。そう予感させる凍てついた緊張が空間を支配した。
 見る者の脳裏に、あざやかな映像として一生残りそうな光景。
 その光景の中を一陣の風が静かに吹き抜けた。
 噴水からわき上がった水が風に舞い散る。
 無数のしずくが月の光を乱反射したその時。
 拳を引きながら同時に走り出した二人は、殺意の疾風を生じる凶弾となると、過去と未来の全てをかけた拳を放ちあう。どす黒く猛り狂う憎しみが乗り移り、 鮫口の拳が空気をうならせ狂わせる。怒りに震える心に突き動かされ、カオルの拳が大気を振るわせ突き抜ける。
 それは存在しないような本当に短い瞬間だった。
 空気を突き破り衝撃波を発する鮫口の拳がカオルの顔面をとらえたその瞬間、またたく閃光のようなカオルの一撃が、時空もろとも断ち切る苛 烈かれつさで鮫口の横顔を撃ち抜いた。激しく首が横へねじれた鮫口 は後ろへ勢いよく吹き飛び、血の軌跡で芸術的な曲線を描きながら、白い花が咲き乱れる一画に背中から落下した。
 強烈な落下の衝撃で、白い花びらが空中へ舞い上がる。
 その花びらは雪のようにやわらかく風に乗ると、拳を突き出したままのカオルに優しく降りそそぐ。
 甘い香りをただよわせ、はらはらと舞った白い花弁は、黄色い月を写す水面に次々に舞い降りる。
 一瞬の差。
 言葉とは裏腹に、絶対に瞬きなどできない一瞬の差。
 鮫口の拳よりもわずかに速く、カオルの拳が鮫口の顔面を撃ち抜いていた。もしわずかでも遅ければ、カオルが空中を舞い、青い花が咲き乱れる一画にその身 を横たえていただろう。
 時間の最小単位のような一瞬の差が、二人の全てをかけた戦いに決着を付けたのだった。

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