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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第一章 宿敵 2
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中学への初登校の日。快晴の空の下、少年は通学路を一人で歩いていた。
朝の陽射しを受けてきらきらと輝く小川の上を、すずしげなそよ風が駆け抜ける。川沿いに並ぶ桜の枝が優しくゆれて、無数の花びらが澄み切った青空に舞い
上がった。
そんな景色を見ながら、少年は気持ちを新たにする。
やることはやった。春休みの間、ずっとけんかの練習をしたんだ、もうやり残したことはない。でも、多分勝てないと思う。ううん、あいつがいる限り、絶対
に勝てるわけがない。でも、勝てなくても、抵抗ぐらいはできるはずだ。……違う、絶対に抵抗するんだ。そう、あとは気持ちの問題なんだ。どこまでも、どこ
までも抵抗し続けて、必ずいじめを跳ね返してやる。
首から下げた指輪を握りしめ、そう固く誓った少年は、中学校へ続く桜並木を歩き続ける。
教室は、新学級独特のさっぱりとした緊張感に包まれていた。つめえりやセーラー服を着た生徒が、友達同士集まっては何気ないおしゃべりをしている。けれ
ど
、どことなく浮き足立った感じをかくし切れていない。
中へ入った少年は、黒板にはられた座席表で自分の席を確認し移動する。だが、少し歩き出したところで、いやらしく挑発するような声を浴びせられた。
「カ、オ、リ、ちゃーん。まーたまた同じクラチュでちゅねー。おれ、メチャメチャうれしーよぉ」
その声を聞いたとたん、少年の体を電流のような緊張が駆けめぐり、全身の肌から冷や汗が吹き出た。
声の主は
黒屋浩平。少し長め
の髪型の他は、背丈も体付きも普通の男子で、勉強も運動も特に得意ではない。強い者にはこびるが、弱い者には威張る卑劣な性
格で、小学生時代に少年をいじめていた連中の一人だ。その黒屋が、数人の男子生徒と教室の後方に陣取り、下品な笑顔を浮かべて少年を見ている。
黒屋の姿を見た少年は、体がこわばるのを必死でこらえ、何事も無かったかのように歩き出した。しかし、今の自分の行動は、小学生時代の行動と何も変わら
ないとすぐに気がついた。
ダメだ、ダメだ、ダメだ、こんなことじゃダメだ、抵抗しなくちゃダメなんだ! このままだまってたら、小学校の時と同じように、またいじめられる。やら
れたら、やりかえすんだ。言葉でからかわれたら、ことばで殴り返すんだ!
少年が自分の中で気持ちを引きしめていると、黒屋は大きく手を振って、教室中の生徒に聞こえるような大きな声で少年に話しかけた。
「カオリちゃーん、無視しないでよぉー、小学校からの付き合いなんだからさぁ」
恐らく、わざとみんなに聞こえるように話したのだろう。教室中の生徒はおしゃべりを止め、黒屋とそのカオリと呼ばれた少年に注目する。何が起こったんだ
と聞きたいような表情だ。
そんな中、少年は必死に抵抗しようとしていた。しかし、何かを言い返そうと思っても、緊張で思考が混乱して言葉が思いつかないし、のどがからからにかわ
いて、まともな声も出そうにない。激しく脈打つ心臓は、体を小刻みに震えさせ、ひざをかくかくと笑わせる。だがしかし、それでも少年は勇気を振りしぼる。
そして、全身からかき集めた勇気と心をまっすぐに貫く意志で、体以上に震え出しそうな声をなんとか押さえ込むと、黒屋を見すえて言葉を発した。
「おれはカオリじゃない、谷風カオルだ」
たったそれだけの言葉だった。普通に話すのと変わらない口調だった。だがその一言は、その少年──谷風カオル──にとって、いじめへの初めての抵抗だ。六
年間いじめられてきたカオルが、初めて上げた抵抗ののろしだ。
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