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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第一章 宿敵 3

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 しかし、その言葉を聞いた黒屋は、突然犬に話しかけられたかのうように、ぽかりと驚いて数秒固まると、近くの男子たちと顔を見合わせた。そして。
「カオリちゃんが自己紹介しちゃってるよ!」
 叫ぶや否や、仲間たちと一緒に大笑いしだした。
 それから黒屋は、苦しそうになるまで笑っていたが、じっと見つめるカオルの視線を感じたようで、向き直ると嫌味のある声で言った。
「何々、何か言いたいことでもあるのかなぁ? だったらこっちにおいで、聞いてあげるから」
「話すことなんて何もない」
 カオルは即答していた。一度行動を起こしたカオルはもう迷うことはない。止めどなく心の底からわき出る勇気がカオルの行動を加速させていた。
 黒屋は、カオルの言葉に反抗の意志を敏感に感じ取ったのか、おちゃらけていた顔を一転して険しくした。そんな二人のやりとりに不穏なものを感じ取った生 徒たちから、教室に緊張がもれ出した。
 黒屋は、しり上がりに声を荒げながらカオルを威圧する。
「ああぁァァ、来いって言ってんだよ、こらぁァ!」
「用があるならお前が来い」
 カオルは鋭く言い放った。この一言は決定的なものであり、もう引き返せなくなるのを百も承知で。
「なめてんじゃねぇぞ!」
 黒屋の背後で怒鳴り声が上がった。破裂音さながらのその声は、カオルの心を激しくゆさぶり全身を硬直させただけでなく、すごんでいた黒屋さえもだまら せ、そして教室の空気を完全に凍りつかせた。
 怒鳴り声を発した男子がゆっくりと立ち上がった。高校生と見間違うぐらい背の高いその男子は、激しい怒りの表情でカオルをにらみつけている。
 見るからに力の強そうながっしりとした体格。茶色く脱色した短髪。細く切りそろえたまゆ。肉食獣を思わせる険しい目付き。全身に相手を威圧する雰囲気を まとったその男子の名は鮫口龍二さめぐちりゅうじ── 小学生時代にカオルをいじめていた連中のリーダーだ。
 獲物を威嚇いかくするような鮫口の視線に貫 かれ、カオルは恐怖で身がすくむ。小学生時代の六年間に鮫口に植え付けられた恐怖は、カオルが思っていた以上に根深いようで、先ほどまでの勇気は鮫口の一 喝で消し飛びそうになる。すると、カオルの中の弱い心が働きだし、今の状況を穏便にすませる方法を探し始める。しかし、カオルは踏み止まった。心に残って いたわずかな勇気が、恐怖を追い払い、弱い心を断ち切ったのだ。
 カオルは拳を強く握り、気持ちを引きしめる。
 さっき、いじめに抵抗するって誓ったばかりじゃないか。いじめに抵抗するってことは、鮫口に抵抗するってことだ。そんなのはわかってたことだ。その上 で、立ち向かうって決めたんだ。たとえ相手が鮫口だろうと絶対に抵抗しきってやる。
 カオルは奥歯を強くかみしめると、ひとみの奥に力を込めて鮫口をにらみ返した。
「やんのかこらあぁァ!」
 鮫口は怒鳴ると同時に、目の前にあった机を思いきりり 飛ばした。
 激しく床に叩きつけたれた机は、窓ガラスを振るわせるほどの巨大な激突音を教室中に響き渡らせ、数名の女子生徒に短い悲鳴を上げさせた。
 そして訪れた沈黙。
 いるだけで肌が切れてしまいそうな鋭利な緊張に包まれた沈黙。
 全ての生徒が凍りついてしまったかのごとく無音となった教室に、廊下から他クラスの生徒の話声が響いてくる。そんな中で、にらみ合う二人の男子生徒。
 それは、ほんのわずかな時間のはずが、カオルには永遠とも思えるほど長く感じられた。
 その沈黙を破ったのは鮫口だった。虫ずが走ったかのような表情をすると、ちっと舌打ちをしてツバを吐いた。床に落ちたツバがぺちゅっとしめった音を立て た。
 その直後、鮫口は歯ぎしりしそうなぐらい険しい怒りを浮かべると、教卓の前にいるカオルへ向かってゆっくりと歩きだした。すると、行く手にいた数名の生 徒があわてて道を開ける。
 近づいてくる強烈な威圧感に、カオルの心臓が痛いぐらいに鼓動し、大量の汗が背中を流れ落ちる。
 鮫口は、カオルから視線を外すこと無く歩き続けた。そして、カオルの目の前まで来ると、殴るような勢いでカオルの胸倉をつかみ上げた。
「ぐっ!」
 胸を強くしめ上げられて息がもれ、かかとが浮く。
 だが、カオルの決心がもう鈍ることはない。一度鮫口に立ち向かうことを知ったカオルは逃げる気などまったくない。
 言葉で抵抗すれば、暴力を受けるのはわかっていたんだ。相手が暴力で来るなら、暴力で立ち向かうまでだ!
 心の中で叫んだカオルは、苦しさでゆがむ顔に反抗の意志を表し、鮫口をにらみ上げる。そして、かすかに震える腕に力を込めてゆっくりと上げると、鮫口の 胸 倉を思い切りつかみ返した!
「上等だああぁァ!」
 鮫口の絶叫が教室の凍りついた空気を打ち砕いたその時。教室の引き戸を勢いよく開けて、大柄な男性教師が巨大な怒鳴り声とともに駆け込んで来た。
 見るからに生活指導を担当してそうな、長身で筋肉質なその教師は、教室の張りつめた緊張などお構いなしに、カオルたちの方へ歩き出す。
 鮫口はちっと舌打ちすると、カオルの胸倉をつかんでいた手を突き飛ばすような勢いで離した。
 カオルたちの前まで来たその教師は、鮫口とカオルを交互に見て、きつい口調で怒鳴った。
「お前たち、入学早々何やってる! うかれてさわぐのも大概にしろ! 今日のところは大目に見るが、次やったら職員会議にかけるからな。悪くすれば停学だ と覚えておけ!」
 それから教室を見渡しながら他の生徒たちに告げた。
「もうすぐ全校朝礼があるから、今すぐ体育館に移動しなさい」
 他の生徒たちは、張りつめた雰囲気のあまり、言葉を発することもできずにいた。だが、男性教師の落ち着き払った行動に安心感を覚えたようだ。近くにいる 友達同士で声をかけあっては、小声でおしゃべりをしながら教室を出て行く。
 鮫口も、カオルをまったく見ずに仲間のところへ戻ると、連れ立って教室を出て行く。カオルへの怒りは一切無くなってしまったかのようにさえ見える。
 そんな教室の光景をながめているカオルに、男性教師は言った。
「君も早く移動しなさい」
 はい、とカオルは短く返事をすると、ゆっくりと歩きだした。

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