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暗闇のカオルと
閉ざされた記憶
第三章 対立 3
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その日の放課後、階段の掃除当番であるカオルが掃除を終えて戻ってきた時、教室の掃除当番である彩華はまだ掃除をやっていた。
彩華め、まじめに掃除やってやがる。おれがいないとまじめなんだよなぁ。まあ、この調子ならもうすぐ終わるだろうから、ここで待つか。……って、忘れて
た! 正志にノートをまだ返してない! 早く返さないと。
などと廊下で考えていたカオルに、一人の男子が声をかけてきた。
「……は、話があるんだ、ちょ、ちょっと来てくれないかな……」
その男子はカオルと同じクラスの生徒だった。背が低く大人しい感じであり、なかなか級友に名前を覚えてもらえないタイプだ。恐らく、この男子の名前を覚
えている生徒は十人もいないだろう。その上、カオルは級友の名前をあまり覚えていない。彩華と正志以外の生徒とはそれほど関わる気がないからである。しか
し。
「確か……岸里君だっけ? 話って何? ここじゃできない話?」
「…………」
「話って、もしかして相談とか」
「……そう……」
「わかった。どこで話す?」
その生徒──岸里仁太郎が無言で廊下を歩き始めたので、カオルはその後を付いて行った。
カオルが岸里の名前を覚えていたのにも、話の内容が相談だと思ったのにもわけがある。
どこかおどおどした感じの岸里は、何人かの男子によくいじられていて、その姿がかつていじめを受けていた時の自分に少し似ていたからだ。
恐らく岸里も、今では明るく振舞っているカオルに、自分と似ている何かを感じたから話かけてきたんだろう、とカオルは思った。だから、岸里の相談内容が
いじめに関すること、いじめを受けていることを人に知られたくないだろうことは察しが付いた。
後ろを振り返ることも無く無言で歩き続ける岸里は、校舎と体育館をつなぐ渡り廊下から外へ出て、体育館の裏手の方へ回った。
「この辺で大丈夫じゃない?」
「…………」
岸里は、話しかけるカオルの声が聞こえてないかのように歩き続ける。
体育館の白い側壁に沿って歩いていると、地面がコンクリートから砂利へと変わった。
「そんなに奥に行かなくても、ここでも誰もこないと思うよ」
「…………」
カオルの言葉を無視した岸里が、体育館の角を曲がり見えなくなった。仕方なくカオルもその角を曲がると。
「……そういうことか……」
その光景を見て、体に緊張が走ったカオルは、岸里を鋭い視線で貫いた。
突然険しい表情になったカオルに、岸里は怖がってびくびくしだした。優しく友好的だったカオルが、こんな雰囲気を放つなど思ってもいなかったのかもしれ
ない。
厚い雲におおわれたうす暗さと、吹きつける風の肌寒さで、かつてのいまわしい記憶とともに、その時の激しい感情を思い出したカオルは、心臓が高鳴り全身
が汗ばむ。
「そう殺気立つなよ、別にけんかしたくて呼んだわけじゃねぇーから」
岸里ではない男子がニヤついた顔で言った。恐らく本気で言っているのだろう。そもそもこの状況でけんかはない。カオルが普通の男子であればだが。
「ここじゃなきゃ邪魔が入ってしづらい話があるんでね」
その台詞を聞いたカオルが、厳しい顔で周囲に視線を走らせると、向かい合ってニタニタしていた男子の一人が、カオルが来た方向へゆっくりと歩き出し、逃
げ
道をふさぐ。
体育館裏にカオルが一人で呼び出され、五人の男子と対立するこの状況は、中学時代にニセのラブレターをもらった時と全く同じである。
違いは、相手が鮫口たちではなく、矢岡たちだということだ。
「なに、別に大した話じゃねーよ、二時間目のこと謝ってほしいだけだよ。さっきはうるさくしてごめんなさい、もう二度とうるさくしません、って頭下げてく
れればいいんだよ、土下座してな」
先ほどから一人でしゃべり続けていた矢岡は、そう言って土と砂利の地面を指した。
謝ってほしい? 違うな……
悪意に敏感なカオルは相手の真意をすぐに感じ取る。
おれは知ってる、悪意ある連中のやり口を。大人しいやつ、目障りなやつを目ざとく探し出して、抵抗されないように集団で少しずつ威圧していく。やられた
やつは少しずつほこりを失い、抵抗力を失い、そして最後には完全に無抵抗になる、岸里のようにな。
──そうだよ、こいつらは、おれをいじめようとしているんだ。
じっと立ち尽くしていたカオルが岸里と矢岡を交互ににらむと、矢岡は岸里の首に腕を回し、岸里と肩を組みながら言った。
「別に岸里みたいなお友達になってくれなんて言ってねーよ。岸里、おまえも自分の立場が無くなるのは嫌だよなぁ……だよなぁ! ……っよなぁ!」
矢岡が大声で怒鳴りつけるたびに、岸里はびくついた。
それを見たカオルは昔の自分を思いだす。
小学生時代にいじめられてとてもつらかったこと。抵抗すると誓ってけんかの練習をしたこと。中学に入って、初めて鮫口に立ち向かった時の恐怖と緊張。い
じめに打ち勝ったと思った時の達成感。可愛い女の子の友達ができ、会話して楽しかったこと。誰かからラブレターをもらい、すごくうれしかったこと。ラブレ
ターが鮫口たちの仕組んだ
罠だと知った時の、身をこがすような怒り。戦って負けたあと、おどしで抵抗する意志をくじかれ、何もできなくなった時の悔し
さ。
当時の記憶が走馬灯のように脳裏をよぎり、当時の激情を鮮明に呼び覚ます。
おれはもう、いじめられる人間ではなくなったと思ってたのに……くっ、とんだ思い違いだな。矢岡のような『見る目』のあるやつが見れば、いじめられっ子
だってわかるんだろう、岸里みたいなやつだとな。だが、おれは岸里とは違う。殴られる体の痛みより、いじめられる心の痛みの方が痛いことを知っている。い
じめるやつを打ち倒す喜びを知っている。いじめに抵抗できなくなる悔しさを知っている。だからおれは、いじめに立ち向かう。例え勝てなくても最後まで抵抗
し続ける。あの時のように途中でくじけたりはしない、絶対に……
激しく燃える炎のような闘志が体を細かく震えさせる。するとカオルは、胸に下げた指輪を服ごしに強く握りしめる──銀のチェーンのネックレスに通され
た、母の形見の銀の指輪を。
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