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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第三章 対立 5

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 地面にはり付けられたカオルの頭の横に矢岡が立った。先ほど狂ったような怒鳴り声を上げた人物とは思えないほど落ち着いている。
 矢岡は、カオルの頭に足を乗せて体重をかけると、その足を踏みにじりながら言った。
「谷風、食らった分はきっちり返させてもらうぜ、オラァア!」
 言い終わりざま顔面を蹴りつけた。
 カオルがほお骨に痛みを感じた瞬間に視界は暗転し、いやらしく笑う矢岡の顔をすぐに映した。
 鼻血で口もとを染めた男子が、矢岡に言葉をかけながらカオルに倒れ込む。
「ケイタ、顔はだめなんだ──ろぉ!」
 ぶつかる瞬間、体重を乗せたひじをカオルの腹に打ち込んだ。
 腹に杭を打ち込まれたような痛みに、カオルは全身の筋肉が縮み込む。
 震えながら立ち尽くす岸里が顔面蒼白そうはくで 見つめる前で、矢岡達四人は思い思いのやり方でカオルをいたぶる。
 体中に痛みを感じながらカオルは思う。
 血の付いた顔を見ただけで、鮫口に見えて動けなくなるなんてな。どんだけ鮫口を恐れてるんだよ。自分でも笑えるぐらいあきれるよ。しかもまた、抵抗する こ とさえできなくなったわけだ。……何度やっても結果は同じってことか。結局のところ、おれはいじめられっ子で、どんなに頑張っても永久に変わりはしないん だな、よくわかったよ。いじめに立ち向かう? 勝てなくても抵抗し続ける? そうすればいじめに打ち勝てる? そんなのは絵空事だったわけだ。いじめら れっ子が現実逃避の末に考えた、妄想でしかなかったんだよ。実際、今も、鮫口との時も、立ち向かったけど結局最後にはやられてるんだから。
 カオルが自分の無力さを実感すると、戦う前に心を満たしていた炎の闘志は、少しずつ消えていき、代わりに真っ暗な何かが広がっていく。その真っ暗な何か は、色も形も温度も一切なく、ただゆっくりとカオルの心を支配していく。その何かとは、一切の感情が存在しない完全な虚無だった。
 それで、カオルはさとった。もし、今心に存在する炎が完全に消え失せて、虚無だけとなってしまったら、自分はもう立ち直れないであろうと。一生感情を 失った まま生き続けていくだろうと。
「ウラァー! どした! さっきの勢いわァ!」
「オラ! なんとか言えやァ! オラァ!」
 怒鳴りつけられるたびにビクつき、殴られるたびに痛みが生じ、カオルの心に灯る炎はどんどんどんどん小さくなっていく。そして、カオルにまたがる男子 が、厳しく見開いた目でカオルをにらみながら、拳を高く振り上げた。
 この一撃で、かすかに残った心の炎が完全に消えると、カオルは直感した。
 かわせ! かわすんだ! それで、殴り返すんだ! そうしないと、おれは一生しかばねだ! 頼む、一瞬でいい。動いてくれ、おれの体よ!
 残った闘士をすべて燃やし、カオルは腕に力を込める。すると、かすかにだが、腕が動いた。だが、ぴくりと数センチ動いた腕は、もうそれ以上は動かない。 ほとんど戦う意志が尽きてしまったカオルには、おさえる男子を跳ね除けるほどの力は残ってなかったのだ。もうカオルは、拳が迫って来るのをスローモーショ ンのようにゆっくりと見続けるしかできい。その時。
 ──白い閃光が空中を駆け抜けた。
 またがる男子の顔が横からくぼんでかしげ、開いた口が空中によだれをまき散らす。
 厳しく見開いていた目が白目に反転したその男子は、振り上げていた腕をがくりと下げながら、ゆっくりと横へかたむいた。
 すると、よだれの尾を引いて顔面から地面に衝突し、そのまま全く動かなくなった。
 鋭い風切り音を生じながら大気を突き破ってきた白い閃光が、カオルの目の前で男子の横っ面に衝突し弾き飛ばしたのだ。
 その場の全員が見守る前で白い球体に変化した閃光は、コツ…………コツ……コツ、コツ、コツ、と軽い音を出して地面で弾んだあと、ころころと転がってカ オルの手もとまできた。
 胸の重しが無くなったカオルは、上体を起こしながらその球体を手に取った。
 ……野球ボール?
 とカオルが不思議に思った時──
「待たせたね、カオル!」
 さわやかな声がうす暗い体育館裏に明るく響いた。
 その場にいた全員が、声がした方へいっせいに振り向く。
「……なんで……ここに?」
 カオルは、その見慣れた姿に自然と言葉をもらす。
 すると、その人物はにこやかな表情で何のためらいも無く言い切った。
「親友だからだよ」
 カオルたちから十メートルほど離れた体育館裏の敷地のはし。そこにさっそうと立ち尽くす美男子は、地藤正志──カオルの親友だった。
 正志の言葉を聞いたとたん、消えかけていたカオルの闘志が少しずつ勢いを増してくる。
 以前、おれは鮫口たちに立ち向かったけどやり返され、途中で戦う意志をくじかれた。今回も、矢岡たちに立ち向かったけどまたやり返され、同じように戦う 意志をくじかれた。──そうだよ、確かにおれは、いじめられっ子の負け犬だよ。いじめに打ち勝てなかったし、戦い抜くこともできなかった。だけど、それで も……それでもだ、
 ──おれのことを親友と言ってくれるこの男となら、おれはきっと戦い抜ける。
 カオルの闘志は一気に燃え上がった。
 その炎は、心に広がっていた虚無の領域を爆発的におおい尽くし、戦い始める前の激しさなどはるかに上回る猛火と化した。
 正志の姿に驚き固まっていた矢岡が、うらみでもこもったような声で怒鳴を上げる。
「地藤ォ! テメェーもつぶす!」
 その時、周囲の三人の意識が正志に向いているすきを、カオルは見逃さなない。
 カオルは、足を抱える男子のあごをひざで蹴り上げ、相手がよろけた拍子に地面を転がると、体中が激痛で悲鳴を上げるのを歯を食いしばってこらえ、なんと か立ち上がろうとした。
 だが、立ち上がる瞬間を矢岡はねらっていた。
「谷風ェエ! まずはテメェだァ!」
 怒りの表情の矢岡は、カオルが立ち上がろうとひざ立ちでいるところへ、勢いよく踏み込み顔面めがけ拳を放つ。
 すぐさまカオルは横へ動いてかわそうとした。しかし、思うように体が動かない! 体を痛めつけられ過ぎたのだ!
 カオルはあせるしかできなかった。肉薄する矢岡の拳に顔面を打ち抜かれると思った。だが瞬間、猛火と化した感情が驚異的な集中力を発揮させた。
 視界に映るもの全てが一瞬にして色あせたカオルは、なんと、迫る拳の動きをコマ送りのように低速でとらえた。そして、わずかに首を動かすだけで拳をかわ すと、続いて迫る矢岡の顔に左拳を突き出して鼻面を打ち抜いた。さらに、矢岡に呼応して近づく男子のひざ蹴りもコマ送りでとらえると、ひざ立ちのままわず かに身をよじってこれをかわし、相手の軸足を取って地面に倒した。
 だが、カオルも一緒にもつれ合い、背中から地面に倒れてしまった。
 そこへ、残った一人、鼻血で口もとを赤く染めた男子が、険しく歯をむき、充血させた目を見開いて殴りかかる。
 あお向けで地面に転がるカオルの腹へ、全体重を乗せた拳が打ち下ろされる。
 ダメだ、防げない!
 カオルが思った瞬間、烈風が生じ、鼻血の顔が真横へ激しく吹っ飛んだ。
 驚きの表情を浮かべるカオルの前で、その男子は新たに鼻血をほとばしらせて地面に倒れふす。
 今のカオルでさえ、完全には見定められなかったその一撃は、一瞬で駆け寄った正志が放った右拳だった。かすかにだが、カオルの網膜に、正志の流れるよう に動く姿が残っている。
 登場から十数秒で、二人の男子の意識をかり取った正志は、その後も素早かった。
 カオルに転ばされた男子のみぞおちに拳を打ち込むと、疾風と化して矢岡の横を突き抜ける。すると、二人とも腹をおさえて地面の上に転がり、苦しそうにう めきをもらした。圧倒的な強さだ。

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