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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第五章 狂言 1

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 不安げに教室の入り口をじっと見ていたカオルは、始業のチャイムにぎくりと驚いた。
 昨日、母の指輪を失くしたカオルは、ずっと彩華にはげまされ続けても不安が消えることはなかった。
 八岡たちが指輪を持ち去ったと考えたカオルは、早めに学校に来ると、八岡たちが登校するのをじっと待った。一緒に登校した彩華が落し物を確認してきてく れ た時の言いづらそうな顔や、あとから登校した生徒がカオルの怪我を見た時の顔を、まったく視界に留めることなく、 カオルは教室の入り口じっと見ていた。しかし、八岡たちは誰一人登校しないまま、一時間目の授業が始まったのだ。
 普段は真面目に授業を受けるカオルだが、この時ばかりは教師の声など耳に入らない。八岡たちが遅刻して来るのではと、教室の戸に注意を払うことしかでき ないまま、いつの間にか授業は終わっていた。
 カオルはその後も八岡たちが登校するのを待っていたが、結局、八岡もその友達も、一切怪我などしていない岸里も登校することなく、その日の授業は終了し た。
 だが、放課後になって吉報が届いた。
 カオルが階段の掃除を終えて教室に戻った時、自称情報通の西沼智代が声をかけてきた。
「あっ、谷風君、ちょっと前に、藤宮先生が谷風君を探しに教室来てたよ。戻ったら、保健室に来るようにだって」
「……ありがとう。でも、怪我はもう大丈夫だし、今日はちょっと用があるから」
「違う用みたいだよ。なんか落し物がどうとか言って──」
 カオルはそこまで聞いて、すぐに走り出した。西沼にお礼を言うのも忘れて教室を飛び出たカオルは、生徒の間をぬうように廊下を走り抜け、階段を駆け下 り、一分もたたないうちに保健室の前まで来ると、素早く戸を叩いた。
「谷風カオルです。入ります」
 昨日の景子との一件などすでに頭にないカオルは、景子の返事を待たずに中へ入ると、執務机にすわる景子のもとへ早足で行く。そして、振り返った景子の表 情を見て息を飲んだ。
「あら、谷風君。ぐすっ、ずいぶん早かったのね。……ぐすっ」
 カオルは固まったまま動けない。
 そのカオルの反応を見て、景子は気がついたように言った。
「あっ、これね。驚ろかせてしまったようね。別に花粉症とかじゃないのよ」
 景子は手に持っていたハンカチで目もとをふいた。カオルを驚かせた原因である、景子の目からほおに流れていた涙は、白い布に吸い取られた。
「これを読んでいただけだから気にしないで」
 景子は机の上に開いていた本を閉じて、表紙をカオルに見せた。そこには、『フランダースの犬』と書かれている。
「趣味で、時々童話を読むの。別に谷風君を泣き落としするつもりじゃないから、警戒しないでいいわよ」
 カオルはほっと一安心したのも束の間、すぐに本題を思いだした。
「景子先生! 落し物って、銀の指輪じゃないですか!」
「あら、ずいぶんあせっちゃって、可愛いわね。もしかして、彼女にもらった指輪なのかしら。でも、彼女にもらうには少し高価過ぎるわね、純銀の指輪とネック レスなんて」
「そうなんですね! ……よかった、ほんとによかったぁ。てっきり八岡たちが拾ったんじゃないかと思って、すげー落ち込んじゃいましたよ。でも、保健室で 落としてたんだ。考えもしませんでした。何もしないで落とすようなものじゃないから、てっきりけんかした時に落としたんだとばかり……。でも、ほんとによ かったぁ」
 うれしさのあまり口数が多くなったカオルを楽しそうに見ていた景子は、本を机に置きながら言った。
「そう、それはよかったわ。谷風君の役に立ててうれしいわ」
「いえ、そんな、ほ、ほんとにありがとうございます」
「どう致しまして」
「……それで、景子先生、指輪は?」
「その指輪何だけど……実は、今ここにはないの」
「えっ!」
 カオルの驚き顔をすまなそうに見てから景子は言った。
「高価なものだから、安全な場所で保管した方がいいと思って家に持って帰ったの。ごめんなさいね。でも、大切に保管してあるから安心してちょうだい」
「そうだったんですか。わざわざすみません」
「いいのよ、気にしないで。それよりも、そんなに大事な指輪なら、今日取りに来るといいわ。帰りに一緒にうちまで来なさい」
「はい! そうします!」
「そう、なら時間になるまで、ここでお茶でも飲んでるといいわ」
 女ぎつねのようだった昨日とは、別人のように優しく親切な今日の景子は、机のはしに置いてあるティーセットでお茶の用意を始めた。
 景子先生って、ほんとはすごく良い人なのかもな。昨日はおれのことを試したり、色気でつったりと散々だったから、勘違いしてたよ。……うーん。待てよ。 ほんとに勘違いなのか? 昨日の仕打ちは、ほんとに良い人のやることなのか?
 指輪が見つかったためか、冷静さを取り戻したカオルは考え始める。
 立ち尽くしているカオルに構わずに、部屋の中央の円卓で、お茶の準備をしていた景子がカオルを呼んだ。
「谷風君、何を難しい顔してるの? お茶が冷めないうちに早く頂きましょう」
「あっ、はい。……ところで景子先生。おれの指輪、どこに落ちてたんですか?」
 カオルの質問に、景子はソファーの方をちらりと見てから答えた。
「ソファーの所だけど、それが何か?」
「いえ、もしかしたら、落ちた時に傷が付いたんじゃないかと思って」
「心配いらないわ、見たところ傷は付いてなかったから」
「よかった。ネックレスも無事ですか?」
「ええ、何ともなかったわよ」
 優しくほほ笑んで答えた景子に、カオルも笑顔を返しながら思った。
 ──おかしい。
 カオルは明らかに変な点に気がついた。だが、疑問を持ったことを気取られないように円卓にすわると、ふうふうとお茶を冷ましながら、いきさつを振り返 る。すると、どことなく不自然な点が、他にもいくつか浮かんでくる。

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