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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第六章 罠 2

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 放課後、カオルは緊張した面持ちで保健室の扉の前に立っていた。
 扉を叩こうと上げた手は、一分ほど前からいっこうに動いていない。
 昨日の夜に指輪を取り戻して帰ったあとは、なかなか興奮が覚めやらず、自分のしたことを深く考えなどしなかった。だが、一日たった今日、授業を受けてい るうちに冷静さが戻ったカオルは、自分のしたことへの罪悪感にさいなまれだした。指輪が戻ったためか時間がたったためか、あれほど激しかった景子への怒り がだいぶやわらいだのも原因かもしれない。
 景子の屋敷に忍び込んで、部屋の中を物色したことは犯罪だ。確かに景子には大きな非があったが、だからと言ってカオルのしたことが正当化されるわけでは ない。カオルはそれを謝りたいと思ってここに来たのだ。
 カオルの問題が解決し、例のアルバイトをやる気満々の彩華には、指輪を探す際に世話になった景子にお礼を言うと告げて来た。しかし、いざ景子にどう話せ ばいいのか中々考えがまとまらず、扉の前で立ち尽くしているところだ。
 うーん、何て言い出したらいいんだ? 素直にすみませんでした、なんて言うのもなんかなぁ……確かにおれも悪かったが、景子先生も悪かったわけだし。そ れに、そんなんじゃまた弱みに付け込まれるのが落ちだ。なんたって、あの景子先生だからな。
 カオルは景子の姿を思い浮かべた。色気で誘惑しようとしている姿、もて遊ぶようにカオルを試している姿、険しい表情でムチを振るう姿……ろくなものが浮 かばない。
「谷風君、何か用?」
「うわあぁ!」
 いきなり景子に後ろから呼びかけられ、カオルは飛び上がるぐらい驚いた。
「ずいぶんな驚きようね。何か仕返しでもしに来たのかしら?」
 スーツ姿の景子だった。キャリアウーマンを思わせる黒っぽいジャケットにタイトスカートで、肩には例の赤いショルダーバッグをかけている。どうやら、今 保健室に来たところのようだ。
「い、いえ、あの、その……」
 不意を突かれてうろたえるカオルを、景子はくすりと笑って言った。
「でも、谷風君の方から訪ねて来るなんて意外ね。もうここには来ないものだと思ってたわ」
 昨日の一件にも関わらず、景子の態度は普段と変わらない。それがカオルにとっては話しやすく感じられた。
「昨日のこと、何ていうか……おれも少しは悪かったから、それをちょっと、謝ろうかなぁと……」
「わざわざ謝りに来たの? ふふ、律儀なのね。立ち話もなんだから、中へ入ったら?」
「…………」
 カオルは景子の顔をうかがうようにじっと見た。
「そんなに警戒しないでいいわよ。もう、小細工する気はないから。どうやら谷風君には正攻法の方がいいみたいだからね」
 景子は言いながら保健室の戸を開けると、カオルを招き入れた。

 お茶の用意された円卓に、カオルと景子が向かい合ってすわっている。
 昨日と同じ光景だが、カオルの気持ちはだいぶ違っていた。指輪が戻ったことも大きな 原因だが、今日の景子からはカオルを軽く扱う感じや、うそを吐いている感じがしないことが最大の原因だろう。昨日の一件のためかは不明だが、景子にも心境 の変化があったのかもしれない。
 景子がお茶の準備をしている間、どう言い出そうかと最後まで迷っていたカオルだが、結局上手い言い方が思い浮かばず、馬鹿正直に言うことにした。
「昨日は屋敷に忍び込んですみませんでした」
 頭を下げるカオルを見て、景子はお茶を持ったまま軽い驚きを顔に出した。
「……今時の高校生とは思えないぐらい生真面目なのね。でも、そのことはもう気にしなくてもいいわよ。指輪を盗ったわたしも悪かったわけだし、お互い水に 流しましょう。それと、地藤ちとう君の件も、 もともと他言する気はないから安心していいわ」
「えっ! ほんとですか!」
「ええ。一生懸命頑張ってる地藤君をおとしめる気はないわ。指輪のことを担任に言われたら困るから、ちょっとおどしただけよ。悪かったわね」
「そうだったんですかぁ」
 カオルはほっと息を吐いた。が、すぐに別のことを思い出す。
「あっ! そうそう、奈々美さんのことなんですけど、奈々美さんはおれを手引きしてないですよ。それは景子先生の勘違いです」
「そうみたいね」
「えっ? 奈々美さんと話でもしたんですか?」
「違うわ。庭のさくに鉄の板が付けてあった から、谷風君が一人で入ったとわかっただけよ」
「なら、奈々美さんにお給料を払ってあげて下さいね。お給料をもらう前に首になったって悲しんでましたから」
「ええ、いいわよ。お給料も、お仕置きも、きっちり与えるから、一人で取りに来きなさいって、奈々美に伝えておいて」
「そんなこと言ったら、取りに行かないんじゃ……」
 カオルは言いつつ景子の顔を見た。意地の悪い笑みを浮かべている。
 ──払う気ない! 奈々美さんに給料払わないつもりだよ!
 カオルはそう思い、はっとした。
「そんなに心配しなくても、ちゃんと払うから安心して」
「ほんとですか! 奈々美さんきっと喜びますよ」
「ふふ、喜んでるのは谷風君じゃないかしら? それにしても、谷風君はすごく恋人思いなのね。奈々美はいい恋人に出会えたわね」
「べっ、別に恋人ってわけじゃないです! この間知り合ったばっかりだし。そ、そんな恋人だなんて……」
 カオルは必死に否定した。事実、奈々美はカオルの彼女ではないし、そんなこと考えたこともない。だが、言われると、自然と意識してしまう。景子邸から脱 出する時に奈々美を抱き上げたこと。その時一緒に見た公園の美しい夜景。走ってその場を離れたあと、奈々美を押し倒すように倒れ込んでしまったこと。そし て、芝生の上にあおむけになった奈々美が、カオルを恥じらいがちに見上げる姿。それを、息のかかり合うほど近くから見たこと。
 カオルは顔をほんのり赤く染めた。それから、恥ずかしさをかくすように、近くにあったお茶に手を伸ばす。つられて景子も、お茶を一口飲んでから言った。
「あら、本当に恋人じゃないの? 行動力のある谷風君のことだから、もう押し倒すぐらいはしたんでしょ?」
「ぶっーー」
 カオルは盛大にお茶を吹いた。
 だが、吹く瞬間に、とっさに手で防いだため、幸い被害は最小限のようだ。手からお茶のしずくがポタポタとしたたって、円卓の上をぬらしてはいるが、カオ ルの制服はどこもぬれていない。
「す、すみません、ゲホッ、つい……」
「…………」
 景子の無言の威圧を感じ、謝りながら恐る恐る顔を上げたカオルは息を飲んだ。今まで優しそうにしていた景子が、険しい目でカオルをにらんでいる。けれ ど、 それも仕方のないことだ。そう、景子にはわずかにかかっていたのだ、あろうことか、その顔に。
「……谷風君にもお仕置きが必要なようね」
 冷たい声で言った景子は立ち上がった。それから、かすかに震えるカオルから執務机に視線を移すと、ゆっくりと歩きだす。カツカツとヒールがタイルを鳴ら す音を響かせ、景子が向かうその机の上には、例の赤いショルダーバッグが置いてある。──あの護身道具が入ったやつだ!
 そして、おびえ顔で震え上がるカオルが注目する前で、景子がバッグに手をかけ中から取り出したものは、ただのハンドタオルだった。景子は顔をふくため に、ハ ンドタオルを取りに行っただけのようだ。
 安心したカオルがほっと息を吐いた瞬間、耳障りな電子音が鳴り響く。
 突然ふところから上がった電子音に驚き、思わず立ち上がったカオルだが、それは何のことはない、携帯電話の呼び出し音だ。あまり鳴ることがないので、鳴 るたびに驚ろかされるし、マナーモードにするのも忘れがちな一品だ。
 カオルは素早くハンカチで手をふくと、携帯電話をブレザーの内ポケットから引っ張りだし確認した。
 彩華からの電話だ。
 だが、保健室で電話に出てもいいものか、ためらったカオルは景子の方を見た。
「出てもかまわないわよ」
 ハンドタオルで顔をふきながら答えた景子に、ありがとうございますと、簡潔に礼を言ってからカオルは電話に出た。

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