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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第九章 怪物 1

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 カオルは目を皿にして、その眼鏡の男、青浦茂を見た。
 ──強化人間。この眼鏡男、今はっきりと言った、強化人間って。……やはり、正志か。どういう事情か知らないが、力づくで連れ戻しに来たってことか。
 そう思い、正志を見た。右腕からだいぶ出血していて、少し顔が青くなっている。だけど、意識は確かなようで、あやしむような視線で青浦を見ている。
 眼鏡の青浦が、鮫口の持つ血の付いたナイフを見て、黒スーツの男に言った。
「黒竜さん。男の子は殺さずにつかまえて下さいと、そう伝えたはずですが……」
「ええ、聞いております。わたしの目が行き届かず、ご心配をおかけしたようで。なにぶん入ったばかりの新入りで、右も左もわからんやつでして……おい、井 ノ北! 言ってわかんねぇやつには、体に教えてやれ!」
 そう言って、黒スーツの男は、カオルたちを取り囲む男の一人で、背が二メートル近くある大柄な男に目で合図した。
 すると、その大柄な男は、鮫口のところに歩いて行き、いきなり鮫口の腹にひざを打ち込んだ。
 鮫口は腹をおさえてひざから崩れ落ちる。
 だが、地面に倒れることなく、突然真横に吹っ飛んだ。
 まき散らされた鼻血が空中を赤く染める。
 そして、そのまま横向きに砂利の上に倒れると、鼻血で真っ赤になった顔をおさえた。
 大柄な男が、ひざを打ち込んだ直後に、こぶしで 顔を殴りつけていたのだ。
 鮫口の顔は、殴られた部分が見る間に青くはれだし、鼻から流れた血が砂利の地面に血だまりを作り出す。わずか二発で鮫口は戦闘不能だ。
 けれど、その男はそれだけでは暴行を止めなかった。
 無抵抗の鮫口を殴る、る。苦しそうにう めきをもらしたところをさらに殴る、蹴る。容赦なく暴行を加える。すぐに鮫口はぐったりとなり意識を失くした。完全にぼろぼろだ。もし、このまま放置すれ ば、そのまま死んでしまっても不思議でないぐらいだ。
 これは依頼人であろう青浦に見せるパフォーマンスなのだろうか。それともただの制裁なのだろうか。命令を聞かない手下を半殺しにするという、暴力団の制 裁なのだろうか。
  何とか立ち上がっていたカオルは、鮫口の悲惨な末路を目の前で見た。底知れない恐怖を感じる相手であり、もっとも憎い相手である鮫口が、目の前で打ちのめ された。けれど、気持ちが晴れるどころが、さらなる恐怖を感じた。となりの彩華も同様の気持ちなのだろうか。血の気の引いた顔でその光景を見てい た。
 青浦が、カオルへ向かって話しかけた。雲間からもれた日差しで眼鏡が光る。
「それでは、来て頂きますよ。谷風カオル君」
 正志ではなく、カオルに来いと、はっきりと言った。
「何のことだ。おれは強化人間とやらも、そのプロジェクトのことも知らないぞ」
「もう白を切る必要はありませんよ、ちゃんと裏は取ってありますから」
「本当だ! 何も知らない!」
「何も知らない? まさか、桜川から何も聞いてないなんてことはないでしょうに」
「桜川……誰だ、そいつは?」
「桜川詩織博士ですよ。知らないはずはないでしょう。それとも、偽名でも名乗ってましたか? そんな必要はないと思いますがね」
「偽名も何も、おれに博士の知り合いなんて──」
 瞬時にそれらしい人物が思い浮かんだカオルは口をつぐんだ。桜川詩織とは名乗ってないし、博士だとも言っていないが、女性であり、科学にくわしく、やた らカオルに興味を持つ人物がいる。そして、その人物は今この場に存在する。思えば、この場に居合わせることとなった、その状況さえ不自然だ。
 カオルは厳しい視線でその人物をにらんだ。
「景子先生! これも景子先生の仕業なんですね! また、おれをだましたんですね!」
「谷風君、誤解よ! わたしは桜川詩織ではないし、この件で谷風君をだましてもいないわ! たまたま通りがかっただけよ!」
「じゃあ、どうして! どうして、あいつが景子先生のことを知ってるんですか!」
「わたしはその男を知らないわ!」
 彩華に支えられているカオルと、男にとらわれている景子。二人は激しくにらみあう。
 突然、青浦が喜劇でも見たかのように笑いだした。
「ふふふ、そうか、そうですか! ははは、そういうことですか! 桜川は上手いことやりましたね! 見つけるのに手間どうわけです! いいでしょう。教え て差しあげましょう。君は何も知らないようですからね。くくくっ」
 くすくすと忍び笑う金髪ツインテールの女の子と、対照的に、能面のように一切表情を変えない秘書風の男。その二人を両わきに従えた、眼鏡顔の青浦茂が、 一人芝居を演じるかのように話しだした。
「脳機能抑制集中制御機構開発プロジェクト。通称強化人間開発プロジェクト。それは、二十年ほど前に、桜川詩織の考え出した脳科学理論をもとに立ち上げら れた極秘プロジェクトです。当時まだ学生だった桜川詩織は、大学の研究室で脳の機能について研究をしていました。これがなかなか運の良い女性で、偶然にも 画期的な理論をいくつか提唱したため、天才科学者と呼ばれるまでになった人物です」
 カオルは景子をちらりと見て思った。
 当てはまる……科学理論がどうのとか言う、景子先生に……
「まあ確かに、記憶のアルゴリズムや思考と神経伝達の関係を解き明かしましたし、さらには、脳神経回路の人為的組み換え方法を提唱して、それを行う化合物 まで考え出しましたから、天才と呼んでやってもいいかもしれませんがね、くくくっ」
 桜川詩織の偉業の素晴らしさを語った青浦だが、なぜか、あざけるような口ぶりだった。
「強化人間開発プロジェクトは、その桜川が提唱した二つの基礎理論、脳内神経回路組換理論と脳機能抑制集中制御理論をもとに進められました。君の頭でも理 解できるよう簡単に言いますと、脳の神経回路を一時的に少し組みかえて、脳の処理能力を一つのことに特化させてやる。そうすれば、その一つのことに関して はずば抜けた能力を発揮できるようになると、そういうことです。このプロジェクトは多くの賛同者を得て順調に進みました。まあ、当然です。わたしが開発を 取り仕切りましたし、人体実験も存分にできましたからね。どこから連れてきたのかわからない人間を使って。くくくっ」
 自分の功績を語る青浦はほこらしげだった。とくに、人体実験について語る時は、心から楽しそうにしていた。
 だが、わきの男は相変わらずの能面のままであり、金髪の少女にいたってはもう退屈したのか、天に向かって大きなあくびをすると、片手でぱたぱたとあくび をあおいだ。
「そのプロジェクトに、ある日、重体の少年が担ぎこまれました。桜川が自身の立場を利用して、実験体として連れてきたのです。そのころ、桜川は一人でこ もって、視覚神経回路の強化という特種な研究をやっていましたが、その強化過程で新陳代謝が飛躍的に高まり、怪我の回復が早まることを発見した桜川は、少 年を助けると言って施術を施しました。少年の命がどうとか言ってましたが、結局は、特種な研究内容を一人じめしたかったのでしょう。多くの組織が法外な値 段で買い取ってくれますからね。その後、桜川の画策で、その少年がこつ然と消えてしまったことが、何よりの証拠です。本当に利己的な人間ですよ。くく くっ」
 そうだ。景子先生は、自分の欲望のためには他人なんかどうでもいいと思う人だ。
 カオルは景子をにらんだ。
 視線に気づいた景子は首を横に振った。
「ああ、言い忘れてましたが、その女性は無関係ですよ。あまり責めないであげてください。不幸にも、たまたま居合わせただけの可哀想な人です。まだ、若く て美しいのに……」
 ──な、なんだって! 景子先生が、その桜川ってやつじゃないのか! ば、ばかな……じゃあ、桜川ってのはいったい誰だ。なんでおれたちが襲われるん だ。
 カオルは激しい混乱におちいった。
 だが青浦は、カオルの戸惑い振りを見ても、何も感じないのか平然と話を続ける。
「桜川が一人でこもって行っていた、その特種な研究。秘密裏に行っていただけあって、実はとても重要なものだと最近になってわかったのですが、残念なが ら、全てが完全なブラックボックスでよくわからないんですよ。桜川の頭の中をのぞくか、その消えた少年を研究する以外、知る方法はありません」
 青浦は残念そうに大きく肩をすくめたあと、眼鏡のずれを直しながらカオルを見た。
「そして、その消えた少年。我々が血眼になって探している、試験型の特種な強化人間。それこそが、
 ──谷風カオル君、きみですよ──」
 激しく混乱しているカオルに、青浦は衝撃の事実を語った。

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