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暗闇のカオルと 閉ざされた記憶

第十章 邂逅かいこう 4

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 二人の表情を見て、カオルはさらに喜びが込み上げてくる。だが同時に、一つの疑問がふと浮かんだ。
「母さん。一つだけ教えて。なんで、おれと……ううん、父さんと、別れたの?」
 カオルを抱きしめていた詩織はそっと離れた。
「……そうね、カオルには、話さないといけないわね。あれは、プロジェクトが軌道に乗りだしたころだったわ。うちに脅迫が相次いで来るようになったの。プ ロジェクトから手を引けという内容の脅迫が。それを始めは無視していたのだけど、その脅迫はずっと続いて、ついには、カオルが誘拐未遂にあう事件まで起 こってしまったわ。確か、カオルが幼稚園を卒業するころだったわ。覚えてる?」
 カオルは首を横に振った。
「その時は無事に解決したわ。でも、脅迫はそれ以降も止むことなく続いたわ。だから、どうするのが一番良いか、トオルさんと相談して……、それで、別れて 暮らすことに……。カオルにはつらい思いをさせてしまったわね」
「……おれや、父さんよりも、そのプロジェクトを選んだってこと?」
「…………」
 思わず聞いてしまったカオルの質問に、詩織はだまってしまった。
 すると、詩織の後ろにひかえていた中久が、つらそうに言い出した。
「カオル様、詩織様がプロジェクトから離れられなかったのは、政府の命令があったからなのです。トオル様やカオル様と別れることを、詩織様はともて悲しま れました。どうか、そのことで詩織様をお責めにならないで下さいませ」
「いいえ。カオルの言う通りね。カオルにはずいぶんつらい思いをさせてしまったわね。謝って済むことではないけど、本当にごめんなさい」
 詩織はカオルに頭を下げた。
 その横で、ため息を一つ吐いた景子は腕組みをしながら言った。
「つまり、強化人間開発のために、夫や息子と別れた。でも、その後、事故で息子が重体になったから、強化人間開発の技術で息子を助け、息子には何事も告げ ずにいた。だけど、技術をねらう連中に、息子の居場所を突きとめられ、ねらわれた。と、それが真相だったわけね」
「はい、その通りです。カオルのことで、あなたには色々と助けて頂きました。ぜひ、お名前を聞かせて頂きたいわ」
「ええ、構わないわ。わたしは藤宮景子。谷風君が通う春日峰高校の養護教諭よ。言わば、谷風君の主治医みたいなものね」
「えっ? 主治医? それは言い過ぎなんじゃ──」
「谷風君はだまってなさい。大人の話に口出すんじゃないの」
「は、はい……」
 厳しい口調で言われ、カオルはしょぼくれた。
「藤宮景子さんですね。カオルがお世話になってます」
「ええ、とてもお世話してるわ。それはもう色々とね。で、今後のこともあるんで、少し聞いてもいいかしら」
「はい。わたしが答えられることなら」
「青浦が言ってた強化人間開発の基礎理論……脳内神経回路組換理論と、脳機能抑制集中制御理論だったかしら? 確かに素晴らしいかもしれないわね。それに ついてなんだけど──」
「すみません、その話にはお答えできないんです。守秘義務があるので」
「そう、やはりね。だけど、谷風君の主治医として、どうしても聞いて置かなければならないことがあるわ」
 き然とした態度で言った景子はカオルを見た。
「谷風君は、時々失神、いいえ、意識障害を起こすわね」
 めまいのことか? 景子先生は知ってたのか。
 言い当てられ、カオルは景子を見た。
「体育館の裏でも、神社でも起こしたし、車の中でのあれも、きっとそうね。で、その意識障害なんだけど、わたしが知る限り、強化人間の力を使ったあとに必 ず起こしてる。三回ともそうだったわ。これは偶然なんかじゃないわね。……機能不全。青浦が言ってたのは、この意識障害のことかしら?」
 詩織は答えるのを少しためらったが、あきらめたように話しだした。
「はい、その通りです。強化人間の能力を発現させたあとに、意識障害と記憶障害を起こします。その大きさは、能力の発現度合いに応じて変わりますが」
 カオルはすぐに思い当たる。
 ん、言われてみれば、確かにそうだ。めまいが起こるのはいつも、物がゆっくりに見えたあとだ。それに、その時は記憶もあいまいになってる。あれは、強化 人間の力を使った副作用だったのか。
「そう、記憶障害も起こすのね。でも、意識障害の方はとても危険だわ。実際、その意識障害のせいで、谷風君は命を落としそうになってるわ。それをおさえ る、あるいは緩和する方法はないのかしら?」
「あります。──中久、あれを持って来て」
「はい。かしこまりました」
 中久は、二人の家政婦を従えて横にひかえていたが、言われてその場を離れた。
 詩織はカオルに向き直って真剣な表情になる。
「カオル。これはとても大切なことだから、よく聞いてちょうだい」
 カオルも真剣な表情になり、静かにうなずいた。
「強化人間の能力はあまり使ってはいけないわ。いえ、意識や記憶に影響が出るほど、能力を発現させてはダメと言ったほうがいいわね。それで、その能力がど んな時に発現するか、自分で気がついているかしら?」
「うーん、意識を集中した時、かなぁ? あ、でも、自分で意識しなくても、何かのはずみで、物がゆっくりに見えることもあるかなぁ……」
「ええ、その通りよ。意識を集中した時に能力が発現するようになってるわ。だけど、人の意識は自分では完全に制御できないものなの。だから、普通に生活し ていても、能力を使うことになるし、その程度の能力発現であれば、何の問題もないわ。でもね、カオル。あなたは、自分の意思で極めて高い意識の集中ができ るわ。もしかしたら、自覚はないかもしれないけど、あなたの脳はそのようになってるの。だけど、そのような高い集中は極力してはだめよ。危険がともなう の。それは、あとで意識を失うから危険とかではなくて、あなたの脳や体に直接の影響が出るの」
 そ、そんなに危険なものだったのか……
 カオルはごくりと生つばを飲みこんだ。
「カオル、人の集中力は感情にも影響されるわ。感情の高ぶりにともなって、集中力も高まるの。もし、自分の意思で集中した上、感情まで高ぶらせてしまう と、極めて高い能力が発現する代わりに、あなたは自我を保てなくなるわ。……生命維持や理性を司る脳が、運動や原始的な感情を処理するようになってしまっ て、感情のままに暴走してしまうの。もし、そこまでいってしまった場合、最悪あなたは命を落とすことになるわ」
 自我を保てなくなる。つまり、おれが、おれではなくなる。それで、さらには命も……
 カオルは、一昨日の河川敷でのことを思いだした。鮫口に対する怒りのあまり、自分がけもののようになってしまい、怒りと憎しみ以外は、何も考えられな く、何も感じられなくなってしまったことを。あの時、彩華の叫びが聞こえなかったら、恐らくは自我を失い、そして命さえも失っていたのだろう。
「だから、カオル。約束してちょうだい。そこまでの高い能力は発現させないって」
 カオルはゆっくりとうなずいた。
「感情は自分でおさえることができるわ、自分の理性でもって。もし、意識と感情の両方が高まり過ぎた時は、理性を保って感情を押さえ込みなさい。いいわ ね」
 詩織は、この場へ戻って来ていた中久へ振り向くと、彼が持つお盆の上の薬びんを手に取った。風邪薬を入れるような、小さな透明のガラスびんだ。
「能力が発現したあと、気を失いそうになったらこの薬を飲みなさい。そうすれば気を失わないわ。でも、この薬を使うほど能力を発現させることは極力さけな さい。わかったわね」
 カオルは深くうなずいて、その薬びんを受け取った。それから、びんの中身をじっと見たあと、ブレザーの内ポケットにしまった。

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